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『ヒコベエ』 [読書日記]

ヒコベエ (100周年書き下ろし)

ヒコベエ (100周年書き下ろし)

  • 作者: 藤原 正彦
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2010/07/29
  • メディア: 単行本
内容紹介
『国家の品格』の著者が初めて書き下ろした自伝的小説
戦後の焼け野原を、ヒコベエがたくましく駆け抜ける。
おしゃべりで腕白な少年ヒコベエ。ものごころのつき始めた3歳から小学校卒業までを、昭和20年代の神田や吉祥寺の生活を軸に、毎夏訪れた両親の故郷・信州諏訪の様子もまじえて綴ります。
まだ戦争の傷跡の残る日本中が貧しい時代、どこの家でも女たちは家計のやりくりに忙しく、男たちは軍隊経験で気が荒い。そんな中子どもたちだけは元気いっぱいに遊びまわっていました。
口やかましいお母さんと威厳のあるお父さんに、時に褒められ時に怒られながら、ヒコベエは、考える・感動する・勇気を出す・がまんする・弱い者を守る・・・・・というように心を成長させていきます。
お母さん(藤原てい)が遺書代わりに大学ノートに綴った『流れる星は生きている』のベストセラー化、家計を助けるために懸賞小説に応募したお父さんが作家・新田次郎になってゆく様子なども家族の視線から活写されます。なつかしい昭和の子供、貧しいけれどあたたかい家庭、みんなが一生懸命生きていた時代の風景が鮮やかによみがえってくる、今こそ必要な「家族愛」の物語です。
何年か前に『国家の品格』がベストセラーになった時、あまのじゃくの僕は、売れ筋の本はあえて読まない態度を取っていて、実は読んだことがない。だから、藤原正彦という人がどれくらい偉いのかもよくわからなかった。当然、新田次郎が著者の父親であることも知らず、ましてや母親も本を出していたということなど知る由もなかった。新田次郎が文壇に登場するよりも、母・藤原ていの本が出版されて話題になる方が早かったというのも知らなかった。僕は新田次郎といったら『新田義貞』『武田信玄』といった歴史小説や『八甲田山死の彷徨』『剣岳-点の記』のような山岳小説(そんなジャンルあったっけ?)しか知らないが、まさか気象台勤めの職員だったとは思わなかったし、ペンネームの「新田」が、群馬県の新田一族(源氏)ではなく、長野県の角間新田から来ていて、元々は藤原氏の家系だったというのも初めて知った。

これだけ「書ける」家系というのも羨ましい。両親が2人とも本を出版していて、かつ息子も本を出版するというのは、あり得ない話だと思う。

さて、本書についてはジャンル的には小説で、実質は自叙伝といったところだろう。少し自慢話が入っていて、凡人たる僕らなどにはここまで華々しい話はなかったので、少し鼻につくところがあったのは認めたい。そもそも、保育園から小学校卒業までに起きた様々な出来事を克明に描けるほど覚えているというのが僕には信じられない。それほど記憶力の良い人なのだろうが、ここでも著者と僕自身の圧倒的な頭脳の差を見せつけられた気がする。要するに僕にはそれほど記憶に鮮明に残るようなドラマチックな出来事が幼稚園から小学生の時代にはなかったということだ。

ここで描かれている、わんぱくだけど優等生だった著者と比べれば、著者と同時代を生きて今に至っている人の殆どが彼の子分となっていた普通の子供だったのだと思うが、それでも、この時代がどんな様子だったのかは本書を読めばよく伝わって来る。
 描かれた時代は主に昭和20年代である。敗戦という未曽有の混乱の中で、人々が廃墟の中から力強く立ち上がって行った時代である。日本中が貧しく最低限の衣食住でどうにか生き延びていた時代である。しかし、何故か人々の顔は明るかった。長い戦争がやっと終わったという安堵感もあった。現代の若者が見たら「極貧」としか言いようのない生活の中で、皆、空きっ腹を抱えながら冗談を言い合い、歌を歌っていたのである。焼跡の中で、ふんだんにあったのは降り注ぐ陽光ばかりだったが、それを浴びながら笑い合っていたのである。
 幕末から明治にかけて数多くの欧米人が日本を訪れ多くの印象記を残した。共通していたのは「皆貧しそうだが皆幸せそうだ」と一様に驚愕したことである。
 そんな社会を私は、終戦後この目で見たような気がする。隣り近所でもわが家でも、ご飯に味噌汁だけの食事をしながら、いつも笑い声が絶えなかったのである。家族が支え合い励まし合い、近隣が助け合い、生きていた。このような強い愛と絆さえあれば、どんなに貧しくとも幸せと感ずるのではないか。昭和20年代とは、どの家にもそれしか他に何もない時代だった。その中で日本人が、そして日本が輝いていた。昭和20年代のあの力強い輝きを読者が少しでも感じ取って下さればと思う。(pp.349-350)
インドで1960年代から農業指導などで現場に入っておられた日本人の任地を調べてみると、今のチャッティスガル州南部やビハール州のような今なら考えられないような後進地域にも入っておられた。当時の日本の農村と、当時のインドの農村が今ほど大きな違いがなかったから可能だったのではないかとは思うが、今の日本人の若者なら、インドのこれらの農村地域は「極貧」と映っても不思議ではないところで、とても今ボランティアで行こうという気にはならないだろう。
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paleomagician

始めてコメントさせて頂きます.

藤原正彦さんと言うと,
「若き数学者のアメリカ」を思い出します.

博士号を取得したばかりの若手研究者がアメリカで過ごした3年間の記録で,自身の能力に不安を覚えながらも世界に挑戦する研究者魂に心が熱くなります.

僕も似たような立場なのですが,ここまで純粋な挑戦の気持ちがあるかと言うと自信がありません.それでも共感できる部分も多く,また勇気づけられた本でした.
by paleomagician (2010-12-19 17:22) 

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