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インド経済成長を巡る政治(論文) [インド]

Atul Kohli, “Politics of Economic Growth in India, 1980-2005”
(Part I: The 1980s) Economic and Political Weekly, April 1, 2006, pp.1251-1259
(Part II: The 1990s and Beyond) Economic and Political Weekly, April 16, 2006, pp.1361-1370
【要約】
 過去25年間にわたるインドの経済成長は年平均6%を記録し、とりわけ1991年以降の市場重視(pro-market)の経済自由化が大きく貢献したと一般的には言われている。しかし、この説明は以下の点から十分ではない。第1に、インドの成長は経済自由化に先立ち1980年代には加速が始まっていた。第2に、1991年以降の工業成長は加速していない。第3に、インドの経済成長は地域によって大きなバラつきがあり、単純な市場経済化の論理だけでは十分説明することができない。
 実際にはインドは1980年頃から成長重視の政策が導入され、政府とともに経済を牽引する同盟者として資本家が優遇されてきた。このビジネス優遇(pro-business)な成長戦略は、成長の果実の分配に逆効果をもたらしただけでなく、国民会議派の政権基盤に対してもマイナスの影響を与えることになった。
週明けの自主勉強会に向けて、僕が発表者として割り振られた論文が上記の2部作である。先週後半から少しずつ読み始めてはいたのだが、金曜夜から土曜朝にかけて第1部を読み切り、土曜午後から日曜早朝にかけて第2部を読み、家事そっちのけで日曜日中に極めてラフなレジュメを作る作業を行なった。

要約については上記の通りだ。日本で新興市場国としてのインドに注目するような本は1991年にインド政府が導入した自由主義的な経済改革とそれ以降のインド経済の成長にばかり目が向きがちであるが、本稿の著者アトゥル・コーリー教授(プリンストン大)によると、6%台の成長の素地はそれからさらに遡ること10年前の1980年に政権を奪還した国民会議派のインディラ・ガンジー首相の政策転換にあったと主張している点に目新しさがある。こう見ていくと、経済改革後に経済成長が加速したわけではないし、経済自由化してインドがグローバル経済に組み込まれる中で、顕在化してきた政治経済社会問題も指摘されている。

自主勉強会なんだからかなり粗雑なレジュメだと思うが、それを文章化してこのブログに残しておこうかと思う。

【1980年までのインドの政治経済の歴史】(参考)
ここでは、1980年のインディラ・ガンジー首相による新経済戦略導入に至るまでのインドの経済政策の歴史を振り返ることにする。この点は、本稿では紙面が割かれておらず、あくまでも参考情報ということである。

独立~1960年代
この時期は国民会議派の政権基盤が安定しており、ネルーからインディラ・ガンジーと長期間にわたって会議派の政権が続いた。会議派の基盤は、都市部の上位カーストの弁護士、ジャーナリスト、教師、それに農村部における富農などのリーダー等である。こうしたエリートによって支えられた政権はまさに「エリート政治」を地でいく経済運営を行なった。それは理想主義に基づく「社会主義型社会の建設」である。しかし、その一方で、会議派の支持者でもある地主層が支配する農村では、社会主義思想に基づく土地改革は不発に終わっている。

1970年代
「緑の革命」を通じて地方の中農や小農などの低位カースト層が力をつけ、地方政党が台頭したのが1970年代である。国民会議派の政権基盤は不安定化し、国民会議派は、地域・階層に関わりなくアピールする「貧困者優先(garibi hatao)」「ヒンドゥー(Hindu chauvinism)」スローガン使用によって勢力維持を模索し始める。エリート政治からポピュリスト的政治への移行である。

なお、独立から1970年代に至るまで、インド政府がとってきたのは、国家主導による輸入代替工業化戦略であった。

【1980年代の政策転換】
1980年代の国民会議派政権は、ポピュリスト的政権運営をとることによって、支持基盤の弱体化が目立つようになっていき、のちのインド人民党(BJP)の台頭を許すことになる。インディラ・ガンジー政権は、政権奪還後の1980年、右寄りの国家介入により企業家・大資本家を優遇し、成長を重視する路線への転換を始める。①独占禁止法(MRTP)改正や、②税優遇措置、③労働者団体活動の抑制等の政策を導入する。こうした政策はポピュリスト的政治とは矛盾するもので、こうして貧困層を置き去りにして企業優遇の成長戦略をとり、その批判をかわすために「ヒンドゥー」キャンペーンを採用していったが、これがシーク教徒による首相暗殺の遠因にもなっている。

インディラ首相に代わって政権を担ったのはラジブ・ガンジーである。ラジブ政権は発足時点で既に新自由主義的経済政策を表明して、貧困者直接支援の政治からの脱却を目指した。成長重視で公共投資(インフラ整備)推進し、供給側制約の除去に努めるのは、言うまでもなく既存の大企業寄りの政策である。

こうして、国による「ビジネス優遇」が始まったわけだが、中央と州の権限の分散、政権基盤の弱体化等を通じて国による「ビジネス優遇」にも様々な制約が課せられることにもなった。

【1990年代以降の経済政策】
さて、こうした背景から1990年代を迎えるわけだが、1990年当時の政策導入環境は「ビジネス優遇」政策に対してポジティブなものではあった。しかし、①投資の構成は変化(公共投資の減少を民間投資で埋める)、②経済改革が投資や労働生産性・資本生産性上昇率に及ぼした影響は少ない。

1980年代に二分化したビジネス団体(CII(輸出志向)、FICCI、ASSOCHAM(輸入代替で成長))には、80年代に自国経済の対外開放を巡って大きな論争があったが、経済自由化以降、ともに急速な対外開放に慎重姿勢を示すようになる。90年代半ば以降まで経済政策の恩恵は既往セクター(registered sector)の大企業に主に与えられた。既往セクターの大企業とは、のちにBJP支持基盤となってくるグループである。

1990年代の経済の特徴としては次の5点が挙げられる。①産業の労働集約度低下、②新興セクター(unregistered sector)の投資低迷、③労働集約財の輸出増加は見られず、④民間部門の産業集約度上昇、⑤製造業の雇用は増えない、といった点だ。

また、公的部門は、国の権限分散により増税や歳入増は困難であった他、企業向け税減免措置の廃止も困難で、歳入面での制約が指摘されている。他方で、公的債務返済・軍事費など歳出面にも制約があり、予算削減の余地は公共投資(インフラ)ぐらいしかないのが現状だとのこと。

以上の通り、政府は、民間セクター、貧困層の双方に満足行く政策を実施したとはとても言い難い。

【州間経済格差】
こうして、経済自由化があったとはいえ、1990年代以降の経済成長率はそれ以前の1980年代と比べてさほど改善しているようには見えない。1991年の経済自由化前後で経済成長率に大きな変化があった州は全州の半分程度に過ぎない。

変化の見られた数少ない州の中には、グッドパフォーマー(グジャラート、ケララ、西ベンガル)とバッドパフォーマー(ビハール、オリッサ、ウッタルプラデシュ(UP)、パンジャブ、ラジャスタン)に二分化されたグループが存在する。バッドパフォーマーは、インフラ、投資環境、州政府の能力等初期条件で不利なため、公共投資、民間投資とも低迷した。

【報告者所感】
1)国民会議派安定政権(独立~1990年代半ば)から、BJP(1990年代半ば~2000年代半ば)を経て、現在は国民会議派中心の連立政権(2000年代半ば~)に至る。本稿が書かれた時期には国民会議派主導の連立政権は既に発足していた。本稿の趣旨からは外れるので著者は言及しなかったのだろうが、時の政権与党はその時の経済社会状況を見つつ政権維持のためにできる政策を導入してきたわけで、それでは今の会議派は今後どうなっていくのか、どのような政策なら導入され得るのかには興味が湧く。

2)州政府の独自経済運営は州間経済格差是正に貢献できるかという疑問。本稿を読んでいると、その時々の経済社会状況は与件であって政治によるコントロールはできない、政策は従属変数であることを暗示している書きぶりになっているような気がした。とすると、初期条件で不利があったとされる貧困州は、独自努力でどこまで州経済を魅力的なものにし得るのだろうか。ニティッシュ・クマール首相のビハール州とか、ナヴィーン・パトナイク首相のオリッサ州とかには可能性も感じられるが、マヤワティ首相のUP州なんかは、縁故主義やマヤワティ個人崇拝がすごくて大丈夫なのかという気がしてしまう。

3)グッドパフォーマー間の経済運営の違いも気になるところ。グジャラート州なんて、確かにヒンドゥーvs.ムスリムの対立の先鋭化している州で、治安上大丈夫なのかという気もしてしまうが、デリー・ムンバイ産業大動脈構想の地政学上重要な位置を占めており、企業誘致で今後も成長していきそうな勢いがある。逆に、ケララ、西ベンガルの両州は、大企業優遇という印象はあまり受けない。むしろ、共産党政権の下で労働者重視の経済運営が行なわれていて、それが人口ボーナスをまともに享受できる素地を作っているような気がする。

4)最後に、州別で見ていってもこれだけ経済運営に差があり、かつ中央の全国政党の政権基盤が弱まっていて中央のコントロールが地方で効かないインドは、マクロでは捉えるのがなかなか難しい国であると改めて感じた。個人的印象だが、グジャラート州のようなまさに「ビジネス優遇」の州と、ポピュリスト的政党が大衆に媚を売っていて企業がなかなか投資したがらないUP州との間で、州間経済格差が拡がりこそすれ、縮まるとはなかなか考えにくい。今後州間格差拡大にインドはどこまで耐えられるのか?バラつきの度合いが今後もっと拡大していくであろうインドで、その不平等感が異なる社会階層やカースト、宗教、エスニックグループ間でのっぴきならない事態になることはないのか、かなり気になる。

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アルマ

ご訪問&nice!ありがとうございます!
by アルマ (2010-11-22 00:12) 

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