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『シルクのはなし』 [シルク・コットン]

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シルクのはなし

  • 作者: 小林勝利・鳥山國士編著
  • 出版社/メーカー: 技報堂出版
  • 発売日: 1993/01
  • メディア: 単行本
内容(「MARC」データベースより)
日本の伝統文化のひとつ、絹をめぐっての様々な話題を、読みやすくしてまとめたもの。各分野の専門家が、絹のルーツや、蚕の生物科学、絹をめぐる科学などの視点で、絹を論ずる。
ちょっと前までインドのオーガニックコットンのことをブログでも時々取り上げていた。実は今もコットンに関しては、某日系企業から請け負って現地NGOから出てきた10頁ほどのレポートの翻訳作業を無償でやっていたのだけれど。これは職場での仕事とは全く関係なくボランティアとして受けた話なので、週末や夜を利用して専ら自宅で作業を行なったものだ。

その一方で、今回、シルク(絹)の話をブログで取り上げることになった。少しインドの養蚕業について調べる必要が出て来たので、いきなりインド・シルクの話題にネイルダウンしていく前に、養蚕やシルクに関する予備知識でも得ておこうと思い、市立図書館で借りた1冊が本書である。とはいってもカイコの構造とか遺伝子学とかの専門知識やシルクの線維構造や栄養学的特徴といった専門的な記述については読み流した。

今回はそんな僕のアンテナに引っかかった記述のみメモしておきたいと思う。
蚕の飼育日数の短縮労働ピークの緩和は、収繭量の増大とともに養蚕経営のうえでは重要な課題です。(p.75)
先ずちょっとだけ自己紹介しておくと、僕は13年前にネパールで同郷の日本人養蚕専門家の薫陶を受けたことがあり、その頃に一度養蚕については集中して勉強した時期もある。カイコは四齢、五齢時の食欲がかなり旺盛で、次から次へと桑の葉を与えなければならない。養蚕経営を拡大していくと、三齢までは家内労働でなんとかやれていたものが、四齢、五齢期には臨時雇いの労働者を受け入れないとやり繰りできないという事態もあるらしい。そういう作業をどうやったら合理化簡素化できるか――それを、蚕室の構造とか給餌のやり方とか、さらには餌にする桑の育て方に至るまで、工夫に工夫を重ねていく。しかも使用される「まぶし」のような農機具も現地調達可能な材料を用いてより持続可能な形の機具を開発する。ネパールで日本人専門家がなさっていたのはそんなことだった。

育種についても、長野県出身の別の専門家に叱られながら覚えた。
 育種の方法には、何世代も繰り返して良い子供を選び、すぐれた品種をつくり出す純系育種法や、ハイブリッドすなわち一代雑種を利用する方法などがあります。
 雑種の第一代目は、両親それぞれの優性の性質があらわれ、雑種強勢によって発育がそろい、じょうぶで収量が多くなる特徴があります。このことに着目して一代雑種の産業的な利用を提唱したのが動物遺伝学の創始者といわれている外山亀太郎博士で、世界にさきがけてわが国において蚕で初めて一代雑種の実用化に成功しました。(p.95)

 わが国では、輸出用生糸の品種の統一と養蚕の生産性の向上をはかるために、国内各地の蚕の品種を集めて特徴を分析して整理することなどを目的に、1911年に、蚕糸・昆虫農業技術研究所の前身となった原蚕種製造所が設立されました。
 外山博士は、一代雑種が雑種強勢により強健で生産性が高く養蚕家にとって有利であるが、雑種二代目には分離がおこって雑ぱくになり一代雑種の子供を増やして使うことができないので、一代雑種の利用は養蚕家にばかりでなく蚕種業者にとっても、自分たちのつくった一代雑種の蚕種を専売できる利点があることを指摘していました。
 設立直後の原蚕種製造所の初仕事は、ハイブリッドすなわち一代雑種の普及です。前にもふれましたが、動植物界のなかで一代雑種の利用はわが国の蚕が世界で初めてで、普及の迅速さと蚕糸業の発展に対する貢献は、世界の農業技術発達史のなかでも画期的なものです。(pp.96-97)
この辺も、当時は知っていたつもりなのだが、こうして文章で整理された説明を聞くと、改めてそうかと理解させられるところがある。僕は13年前に福島の原蚕種製造所から仕入れた「種」(卵のこと)を見たことがあるが、多分あれは純系育種で作られたものだったのだろうな。

さて、カイコの繭を絹糸にして紡いでいく過程については、僕も今まで見たことがない。いや、以下のように書かれると、そういえば僕が小さかった頃、実家の土間で飼育されていたカイコの繭を祖母だったか父母だったか覚えてないが熱湯で煮ていたのを見たような気がする。確か宮本常一の著書には、日本の家屋の土間ではカイコが飼育できるような場所が取られていたとあったように思う。
 繭を蒸気と熱湯でよく煮熟して繭糸を引き出し、それを数本引きそろえてケンネルという仮撚り装置を通し、一本にまとめてから枠に巻きとります。生糸は濡れているときは伸びやすく、乾燥すると縮んで元に戻る性質があります。枠に巻きとられるとき生糸は濡れており、繰糸工程の糸道を経て枠に巻きとられるまでに1デニール当り0.4グラムから0.8グラムの張力がかかり、数パーセント引き延ばされています。枠上で生糸は乾燥され収縮しようとしますが、枠手で長さが固定されているため縮むことができません。そのため、糸の長さは枠上で固定されてしまって枠からはずした後もほとんど縮むことはなく、ピンと張ったまっすぐな生糸ができあがります。
 このようにしてできた生糸は構成する繭糸の引きそろえがよいために、織物や編物などにしたときの光沢は素晴らしく、手触りもしなやかなものとなりますが、ふくらみや伸縮性に欠け、しわにもなりやすいというシルク固有の弱点もあらわれます。(p.151)
以上の記述はタイシルクとの対比で書かれている箇所だが、タイシルクの紹介は本稿の目的ではないのでここでは割愛する。

さて、次はインドのシルクに関する記述である。
 野蚕の発祥はヒマラヤ地方ともいわれ、主としてインド、東南アジア、中国に分布しています。日本特産とされている天蚕もヒマラヤで発見された記録(1912年)があり、中国にも現存しています。柞蚕は中国東北地方を中心に山野で飼育され、野蚕糸のうちでもっとも大量に生産されています。
 インドではタサール蚕が各地に生息し、ムガ蚕はアッサム地方にかぎられて飼育されています。また、エリ蚕はヒマやシンジュの葉を食べて育ち、別名ヒマ蚕ともいわれています。(p.164)
ついでに言うと、アッサムのムガ蚕は特産品としてはかなり有名らしいし、野蚕として天蚕、タサール蚕、ムガ蚕、エリ蚕の4種が同じ国で飼育されているのは世界中でもインドにしかないのだそうだ。

最後に余談だが、僕はネパールで駐在していた頃、日本から持ち込んだ中古のカローラ・セレスに乗っていた。こんなこと胸を張って言うことでもないが、ネパールで初めてのセレスが僕の自家用車で、その丸っこいボディが宇宙船的な先進性とでも受け止められたのか、その後短期間でセレスがカトマンズの街で目立つようになった。この「セレス」という言葉だが、「東方の国」という意味で、紀元前5世紀には絹を産出する中国を指していたのだそうだ。また、生糸や絹織物の呼称としても「セレス」が使われていた(p.25)。

僕とシルクの縁はこんなところにも垣間見ることができる。
タグ:養蚕 インド
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