『永遠のゼロ』 [読書日記]
内容(「BOOK」データベースより)金、土の2日間にわたるツライ仕事を終え、出張先で迎えている日曜日の週末は、少し心も落ち着きつつある。この1週間は東京でのイベントから引き続いて出張先でもイベントがあり、こんなに緊張を強いられたのはインドから帰国して初めてのことだった。でも、出張先のアフリカ某国でもインド人のエコノミストとも知り合いになるなどちょっと嬉しい出来事もあった。
「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」。そう言い続けた男は、なぜ自ら零戦に乗り命を落としたのか。終戦から60年目の夏、健太郎は死んだ祖父の生涯を調べていた。天才だが臆病者。想像と違う人物像に戸惑いつつも、一つの謎が浮かんでくる―。記憶の断片が揃う時、明らかになる真実とは。涙を流さずにはいられない、男の絆、家族の絆。
仕事がひと段落したので、出張に携行していた文庫本をもう1冊読み切ることにした。僕としては初めての著者の作品であるが、書店店頭に並んでいて売れ筋の文庫だったようなので、中味の吟味など一切せずに購入した。出張先で読み切ったら、そのままうちの会社の現地駐在員に贈呈してしまおうと思っていたからだ。
――結局、現地で駐在員に贈呈という考えは捨てることにした。持って帰って、いずれうちの子供達がこのブログの記事を見て「読んでみようか」と思った時のために、我が家の蔵書としてとっておきたいと考えたからだ。単にストーリーとして面白かったというだけではなく、僕らは僕らが生まれる30年近く前に日本が戦った戦争の話を、次の世代に伝える義務があるのではないかとも考えた。
タイトルが示す通り、本書の主人公は現代を生きる健太郎と、その実の祖父にあたる零戦パイロットの宮部の話である。宮部は結局他者の口から回想としてしか語られていないから主人公というのはちょっと違うかもしれないが、全編を通じて中心となるのは宮部である。真珠湾攻撃に参加してから、ミッドウェー海戦、ラバウル攻防、ガダルカナル防衛、フィリピンと戦い抜き、歴戦の優秀なパイロットであったにも関わらず、最後は沖縄防衛のために、昭和20年8月15日の玉音放送を聞くことなく、その3日前に特攻隊員として出撃し、戦死を遂げている。
本書は、健太郎と姉の慶子が、「戦争で死んだ実父の記憶が殆どない」という母の想いを汲んで、海軍所属のパイロットとしての宮部の生き方を、戦地や内地で生活をともにした生き残りの方々の回想によって調べ上げていくというストーリーである。最初の取材対象者からは、宮部が死を恐れる「臆病者」だったと聞かされて今の自分の姿に投射させてへこむ健太郎であったが、その後、愛する妻と娘のために必死に戦争を生き抜こうとした祖父の姿が明らかになってくる。その中で、戦争の過酷さ、理不尽さ、そして現代の官僚にも通じる当時の軍部の責任逃れの体質、戦争へ戦争へと世論を煽っておきながら戦後は平和を唱えて、特攻パイロットを「現代のテロリスト」と称してしまうマスコミ―――そうしたいろいろなものが語られる。単に戦闘機乗りの戦闘技術とか戦争の戦術の話としても面白いし(不謹慎ですが)、いろいろな読み方ができると思う。
太平洋戦争の頃の話は、戦地のものであっても内地のものであっても、実は僕もあまり詳しくは知らない。ただ、実際に戦争を戦った人々がいまや80代を迎えている今、そうした人々が現場で経験してきたことを記録に残していく必要があるとは思っている。多くの人が復員後は戦地での経験について口をつぐみ、墓場まで持っていこうとされている話は多いだろうと思う。それを掘り起こし、小説のような形でまとめる試みはあってもいいと思う。超長編だが、多くの人に読んで欲しいし、実際読まれている理由もよくわかる気がする。
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