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アミーラさんの日本語学校 [インド心残り]

ネパールの大学に「日本語センター」設立―アミーラ・ダリさん
7月8日(木)、東京新聞「この人」
 「自分が日本人なのか、ネパール人なのか分からなくなる」と言うほど、日本とのかかわりは深い。
 「天才少女」と呼ばれ、12歳で高校を卒業。21歳で来日して天理大を経て上智大大学院へ。研究テーマは「総合商社」で経営学から企業風土まで学んだ。
 帰国後は日系商社勤務の傍ら、NGOラブ・グリーン・ネパールを設立。奨学金制度などネパール女性の教育・地位向上に尽力。それが評価され昨年、日本の海外技術者研修協会から社会貢献大賞を贈られた。
 受賞を機に、日本語と日本を本格的に学べる場をネパールに作るという夢に向け動き出した。長年の友人であるネパール中南部・バルクマリ大学の学長と東京都内の日本語学校理事長に協力を要請。来年秋、同大に「日本語センター」の開設が決まった。
 自身もアドバイザーとして運営にかかわる。将来は看護や介護など日本で人材が不足している分野で、技術と日本語を身に付けた人材を育てたいという。
 「どちらも国旗に太陽がある両国の架け橋となり、ネパールを変える力を持つ人が増えてほしい」。カトマンズで夫と暮らす。55歳。
アミーラさんが昨年、海外技術者研修協会(AOTS)から表彰されたという話は当時の新聞でも大々的に取り上げられていたのでよく覚えている。1990年代後半の2年少々の間、アミーラさんが現地でゼネラル・マネージャーをされていた日系商社とはよく取引させてもらい、しかも大学院の先輩後輩関係(僕が後輩)があったことから、カトマンズでは親しくさせていただいた。NGOラブ・グリーン・ネパールは、僕のカトマンズ駐在末期に初めて名前を聞いた現地NGOで、当時はまだ具体的に事業をされているわけではなかったように記憶している。トリブバン大学で行なわれた都市環境セミナーで、日本から来られて街路樹整備の効用についてプレゼンされた発表者の方のアテンドをアミーラさんがなさっていて、「え、そんなこともやっておられるんですか?」という会話を会場で交わしたのを覚えている。

4月に帰国の内示を受けた時、もし次の部署がネパールと全く関係のないところであった場合は、離任する前に一度ネパールを訪問して昔お世話になった方々にも最後のご挨拶をしてきたいと考えていて、その中にはアミーラさんも入っていたのだが、自分の行き先について具体的に聞いたのが6月に入ってからだったため、それからでは何も手配もできず、結局最後の悪あがきは実現しなかった。「またの機会」がいつ訪れるのかは全くわからない。今の部署では南アジアと関わること自体が望み薄であるし…。まあ気長に待ちたいと思う。

この記事で登場する「バルクマリ大学(Balkumari College)」というのはチトワン郡ナラヤンガートにある大学らしい。ラブ・グリーン・ジャパンの支援を得てラブ・グリーン・ネパールが活動していた事業地は東部カブレ郡パーンチカルにあったが、地理的には全く異なる場所で、「日本語センター」というのは新たな取組みらしい。

着眼点にはなかなか面白いんじゃないかと思う。少なくとも、ラフル・ガンジーが若年層人口にかなりの余剰があるインド・ウッタルプラデシュ州の若者を日本に出稼ぎに行かせて高齢者介護に従事させるよりはよっぽどネパール人の看護介護人材の方が人当たりが優しそうな気がする。インドには申し訳ないけれど。

事業の成功をお祈りしたいと思う。

Kendo5.jpg

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コメント 1

toshi

コメントありがとうございました。
by toshi (2010-07-09 18:42) 

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