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『草の根NPOのまちづくり-シアトルからの挑戦』 [読書日記]

草の根NPOのまちづくり―シアトルからの挑戦

草の根NPOのまちづくり―シアトルからの挑戦

  • 作者: 西村祐子編著
  • 出版社/メーカー: 勁草書房
  • 発売日: 2004/07
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
まちづくりをシアトルに学ぼう!いきいきとしたまちづくりの主役はシアトル市民。どのような手法で人々はまちを変えてきたのか?その秘訣を探る「シアトル物語」。
この本は著者から寄贈されたものなので、寄贈を受けた時点で辛口の批評はちょっとしづらいこと確定なのだが、敢えて述べさせていただく。予想された仕事上の接点は意外と少なかったので、寄贈されてから現時点に至るまで、2年近くを費やしてしまった。ただ、シアトルでの調査レポートとインドで著者が関わっておられる事業との共通性が見出しにくく、読んでなかったからといって仕事上支障があったわけでもない。

タミルナドゥの地域研究の権威と自認されている方がどのような経緯でシアトルをフィールドにされたのか?実はこの疑問が最初から最後まで頭から離れなかった。国際交流基金日米センターから研究助成を受けたというのはわかるが、それ以前にそもそもどのような背景があってこうした研究と取り組まれたのか、研究チームはどのような構成になっていたのか、著者は何故シアトルに移り住んだのか、こうした疑問に対して、著者は明確には本書の中では答えていない。もう1人知っている方が本書の中で登場するので、なんとなく著者とシアトルとの繋がりは想像はつくのであるが。

著者が国際協力NGOへの不信感を隠そうともされていない理由についても、本書を読んで少しは理解できたような気もする。しかし、スマトラ沖地震津波災害の後、インド沿岸部の被災地に救援で入った一部のNGOがいい加減な活動をやったということが仮にあったにせよ、一事が万事そうかというと僕はそうではないと思っている。同じ沿岸部だし、アンドラプラデシュ州のソムニードの事業地あたりをちゃんとご覧になれば少しは著者の見方も変わると思う。それに、ソムニードは岐阜県高山市のまちづくりにも関わっており、著者が強調する「コミュニティ・オーガナイザー」として、彼らは国内でもちゃんと機能しているのだ。

本書はシアトル在住の日本人や、シアトルを訪問する日本人観光客の方々に読んでいただくと最も生きると思う。こういう歴史がシアトルにはあり、近年観光資源として脚光を浴びているスポットにもそれぞれ地域住民と行政による協働の経緯が存在する。それを関係者からのインタビュー等を踏まえて丁寧に描いておられるので、本書を読めばシアトルという都市をいっそう好きになれるだろうし、シアトルに住みたい、自分も草の根市民活動に参加してみたいと思う人も増えるだろう。イチローが何でメジャーリーグ入りの際にシアトル・マリナーズを選んだのか、その理由もなんとなくわかった気がする。

一方で、どうしても拭えなかった違和感もあった。例えば、シアトルのまちづくりの経験をいきなり日本型まちづくりと対比させている点。そもそもシアトルにできたことが他の米国内の都市ではできていないとしたら、日米の対比以前の問題としてシアトルにあって他の米国都市にないものが何かを分析せねばならない。逆に地域特性のようなものを強調されるのなら、「日本型」という前に、日本国内のどこか特定の都市との比較をするべきだ。

第2に、NPOは特定領域での専門性が強く、特定地域に根差していないからまちづくりへの貢献も浮ついたものになりがちだという指摘についても、素人の僕には疑問だ。国際協力NGOの視点からものを言っているので著者に聞き入れてもらえるのかどうかは定かではないが、地域住民が地域の課題について問題を把握し、論点を整理して解決策を検討していくのに、国際協力に携わって来たNGOは、地域内の住民だけではややもすると閉塞的な議論に陥りやすいところに外部から何らかの異なる視点や刺激を提供するのにはかなり寄与すると思う。

第3に、本書ではまちづくりの担い手の多様化、住民の代表を画一的に想定しないことの重要性を一貫して主張しているが、その一方で、多様化を実現させるためにも、町内会・自治会を単に「古いもの」として切り捨てるのではなく、多様な協働における地縁組織ならではの機能とあり方についても再考する必要があるとして、町内会・自治会をかなり評価されている。本書を読みながら、町内会・自治会のキャパシティに関する考察があまりなされていないという印象を僕は受けたが、何故jこれほど町内会・自治会に期待を寄せられるのか理解できなかった。

3年も日本を離れている人間が言うと説得力に欠けるが、それ以前に住んでいた町で、町内会の集まりに出席させてもらったようなことなど一度もないし、単に回覧板を回すぐらいで、近隣住民との交流機会を積極的にプロデュースするようなことも町内会主導でやられていたとは思えない。夏祭りや秋祭りはあったが、普通の住民は単にお客様だったと僕は思う。町内会は日中市外に「出稼ぎ」に行っているサラリーマンをコミュニティの構成員として認知していなかったのではないかというのが僕の仮説だ。

実はこの点は本書のかなり大きな弱点である。シアトルと日本のまちづくりの比較として、少なくとも日本の農村部は捨象して都市に絞って考えてみた場合、職住接近が比較的実現しているのは地方の中小都市で、大都市圏の周辺部にある衛星都市は中心部のベッドタウンでしかないために、地方税収の主力貢献者であるにも関わらず、現役世代のサラリーマンのまちづくりへの関与にはあまり成功しているとは言えない。本書はこの点に関する言及を全くしていない。シアトルのまちづくりのプレイヤーとして具体名まで出てきたような人々の殆どがシアトル生まれのシアトル育ちだし、まちづくりに参加してきた住民というのは、そこで商売を営んでいるという人ばかりであるように思えた。これでは、サラリーマンで平日昼間のまちを知らない僕にはすんなり納得できない。そもそもこういう議論をするのなら、紙の上でではなく、もう少し実際のまちづくりの現場に関わってみることが重要だ。

本書を読みながら、まちづくりに貢献できる人材の育成プロセスが日本には決定的に欠けているというのは確かに気になったところではある。住民組織側と行政側とを人材が行ったり来たりできるようなキャリアパスは日本では見当たらないし、地域の中でコミュニティ・オーガナイザーとしてのスキルを磨こうとしても、町内会は長年地域に住む人々で牛耳られている。若い人材が伸びる余地が非常に限られているとの印象を受ける。ソムニードが高山のまちづくりに関われるのは、インドでの事業実施を通じて、まちづくりに必要なスキルとノウハウを修得してきた人材がいるからだ。乱暴な推測だが、米国の場合は、国内でのまちづくりにコミュニティ・オーガナイザーとして関わったような人材が豊富にいるから、それを他国、特に途上国での参加型開発に即生かせるが、日本では国内でこのようなスキルとノウハウを修得できないから、逆に国外で修得した人材を逆輸入せねばならないような状況にあると思う。

著者のような海外経験豊富な有識者こそが、日本国内でのまちづくりの現場にもっと浸かり、シアトルやインドでの経験も踏まえたよりハイブリッド的なまちづくりを展開していってもらいたいものだと強く感じる。
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hiro

都市部と、農村(地方)とのコミュニティーの在り方は確かに違うかもしれませんね・・都市部では基本的に他人に干渉しないのが基本ですよね。
(転勤されて来て、地域に馴染めないとか、そもそも、たまたま転勤で訪れて、また転勤するのに地域活動なんて・・・)

農村でもその思考が強い若い方達が主です。
しかし、真に成熟した社会を目指すなら、僕達、若い世代は何を模索すべきかを考えます。

その意味でも、sancnaiさんのblogは、自身の教材として拝読させて頂いて御ります。
ありがとうございます。
by hiro (2010-05-31 21:08) 

Sanchai

☆hiroさん☆
コメント&nice!をどうもありがとうございます。

インドに住んでいてこちらの人々を見ていて感心するのは、余計なお節介をする人の多さです。時にウザいと感じることもあるのですが(笑)。特に、交通渋滞の時にいきなり通行人が交通整理ボランティアを始めるのには驚いたしちょっと感動させられます。

翻って日本を考えると、こういう隣近所に世話を焼くような人が少なくなったということを感じます。月並みですが「道行く人との挨拶から始めよう」という識者が多いのは、日本のコミュニティの再生に手詰まり感があるからだと思います。

間もなく私も帰国して新たな生活を開始する予定ですが、コミュニティとどう関わって行くのか、この3年間考えてきたことを自分なりに実践していきたいと思っています。

ご愛読ありがとうございます。

☆nice!を下さった皆様☆
いつもありがとうございます。
by Sanchai (2010-06-01 11:29) 

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