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タゴール生誕150周年 [インド心残り]

シャンティニケタン、タゴール生誕記念祭に邁進
Santiniketan gears up for Tagore birth anniversary celebrations
5月9日、The Hindu
【コルカタ発】 ラビンドラナート・タゴールの生誕150周年記念祭を祝おうと、世界中から人々がシャンティニケタンに集結しつつある。彼の生家は日曜日のタゴール誕生日を前にきれいに整備された。シャンティニケタンでのプログラムは、日曜早朝、ビシュバ・バラティ大学の学生と教員が「バイタリク(baitalik)」と呼ばれる行進を彼の歌を歌いながら行なう行事によって公式にスタートを切る。
 タゴールの生家であるジョラサンコ・マンション(Jorasanko mansion)は、彼が生まれ1941年に息を引き取った家でもある。今この家は花で飾られている。
 タゴールの歌の歌唱で知られる第一人者のグループは、ラビンドラ・サダンで芸術文化プログラムを開催する予定である。
 日曜日には、「サンスクリティ特急」と呼ばれる特別列車の運行が開始され、国内各地でタゴールの生涯とその業績を振り返る旅が企画される。列車はハウラー駅(コルカタ)でママター・バナジー鉄道大臣によって除幕式が行なわれる。(後略)
*記事全文は下記URLからダウンロード可能です。
 http://www.thehindu.com/2010/05/09/stories/2010050959500500.htm
僕が最後に西ベンガル州シャンティニケタンを訪れたのは2008年12月のことで、あれから既に1年半が経過してしまっている。シャンティニケタンは僕の家のある三鷹の国際交流協会がインドにスタディツアーに来る度に訪れている町であり、過去に自分も一応3回訪問しているという点ではやることはやったと思うが、僕がギターを買って日本の70年代フォークを演奏できるようになろうと思ったきっかけとなったビシュバ・バラティ大学の学生との交流は、結局それ以降実現せず、練習の成果を披露する機会も僕の離任で失われてしまった。仕事をしている間は休暇を取って悠長にシャンティニケタンまでスタディツアーに参加して出かけるなんてことはできないだろうから、もう当分の間シャンティニケタン訪問はないだろう。

自己チューで傲慢で要求が多く、そのくせ弁ばかりがやたらと立つインド人を普段相手にしていると、シャンティニケタンのユルさはある意味癖になる。時間の流れがとてもゆったりとしており、約束の時間にことが始まらなかったとしてもなんとなく許せてしまう空気がある。これがデリーだとやたらと遅刻してくるオフィスのスタッフに対して寛容のひとかけらすら感じることはないだろう。

そういうシャンティニケタンとビシュバ・バラティ大学の良さが今の世知辛い経済成長至上主義のインドの時流の中で淘汰されてしまうのではないかと不安になることも多い。

5月7日付Hindustan Timesの特集記事は、タゴール生誕150周年に因んで、ビシュバ・バラティ大学の現状と課題を浮き彫りにする2つの記事から構成されている。いずれもシャンティニケタン在住のヤジュナセニ・チャクラボルティ通信員が書いたものだ。過去振り返ってみてもHindustan Timesに掲載されたビシュバ・バラティ大学の記事は良いものが1つもないが、おそらくその殆どをこのチャクラボルティ通信員が書いていたのではないかと思われる。
*"Abode in pieces" Hindustan Times, May 7, 2010
 http://www.hindustantimes.com/Abode-in-pieces/Article1-540328.aspx
*"Where the head is held now" Hindustan Times, May 7, 2010
 http://www.hindustantimes.com/Where-the-head-is-held-low/Article1-540329.aspx

2つの記事を通じて、チャクラボルティ通信員が指摘しているのは、ビシュバ・バラティ大学のガバナンスが劣悪で、学生が学業に専念できる環境を提供できていないことである。学内のカンティーンでティーカップの中にゴキブリがいた話とか、テーブルが全く拭かれていない話とかが出て来る。「自分が子供を持つ親の立場だったら、水もちゃんと出ないような寮しかない大学に子供を通わせたいと思いますか?」――そう聞かれると答えはNoと言わざるを得ない。同通信員は、これらを大学当局のガバナンスの問題としてロイ副学長以下首脳陣を痛烈に批判しているが、予算管理がうまく行なわれておらず、適切な予算執行が行なわれていないというのは、大学側の問題もさることながら、そういう空気をシャンティニケタンという町自体が帯びているということもあると思う。大学当局が悪くないとは言うつもりはないが、大学当局だけが悪いのかというとそうでもないのではないかと思うのである。

タゴールは1913年のノーベル文学賞受賞で得た賞金を使って1921年にビシュバ・バラティ大学を開学した。校舎を持たず木陰で授業が行なわれたという昔話をよく耳にするが、シャンティニケタンは確かにそうした面影を今も残している町だ。しかし今や多くの大学が実験設備を完備し、優れた教授陣を揃えて強力に人材育成を進め、インドの持続的な経済成長に貢献しようと躍起になっているこの時代に、ビシュバ・バラティのユルさは驚きであり、大丈夫なのかと不安が募る。一体、ここの学生は卒業後何を目指しているのだろう?そして、直接学生と接する教員も含めた大学当局側は、どのような人材を世に輩出したいと考えているのだろうか?

もう1つの記事も、ビシュバ・バラティ大学のガバナンスの悪さを象徴している事件の追跡記事である。タゴールが受賞したノーベル文学賞のメダルが、2004年3月24日、大学キャンパス内にある「ラビンドラ記念館(Ravindra Bhavan)」から他のタゴール遺品とともに紛失し、未だに見つかっていないという。中央調査局(CBI)は既に2009年末に捜査を打ち切っており、現在この記念館にはメダルのレプリカが展示されている。記事によると、大学側から要請があればCBIは捜査を再開するとあるが、既に2回も捜査打ち切りを行なっているものが、そんなに簡単に今後出て来ると言う保障はない。問題は大学側の展示品管理体制にあり、そもそも論としてこれを糾弾しているのがこの記事の論調である。

ビシュバ・バラティには同情するところもあるが、最低限のガバナンスは確立して欲しいものだ。
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aya.m

私も同じ気持ちで記事を読んでいました。
あのユルさが淘汰されてしまうのは非常に惜しい気がしますが、
J大を見たあとでは、シャンティの学生が気の毒だなとも感じます。

ギター、お帰りになる前にぜひ聞かせてください。
by aya.m (2010-05-10 11:06) 

Sanchai

aya.mさん、コメントありがとうございます。
6月1日はギター持って行きます。未だ下手ですけど。
by Sanchai (2010-05-13 11:14) 

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