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再会、ベンガルの熱い男 [インド]

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既報の通り、6日(土)はJICAの帰国研修員同窓会が主催したセミナーに出席してきた。コルカタにあるジャダブプール大学環境学部のディパンカール・チャクラボルティ教授(Dr. Dipankar Chakraborti)の基調講演が聴きたかったからだ。チャクラボルティ教授のお名前は、僕が1998年にバングラデシュの地下水砒素汚染問題に関心を持った初期の段階で耳にした。バングラデシュの砒素問題については早くから日本のNGOアジア砒素ネットワーク(以下、AAN)が注目し、既に村に入って現状調査をかなりやられていた時期であったが、AANがそもそもバングラデシュに注目したきっかけが、チャクラボルティ教授が1995年に呼びかけてコルカタで開催された国際会議であったという。

僕は、昨年11月にコルカタを訪れた際、ジャダブプール大学のチャクラボルティ教授の研究室を訪ねたことがある。バングラデシュの地下水砒素汚染問題についてはよく知られており、日本からも官民連携して既に10年以上の経験の蓄積があるが、インドについては、あちらでも砒素、こちらでも砒素といった断片的な検出情報はあるが、中央政府や州政府が何をどう取り組んでいるのかも全くわからず、民間アクターもどこで何をしているのかが全くわからない。どうしたら全体像が理解できるのだろうか―――そのことを、おそらく南アジアの砒素問題で最大の権威と言える教授に聞かせてもらおうと思って出かけた。

その時交わした会話は印象的だった。教授が仰ったポイントは2点あった。第1に、問題の本質を理解したければ問題が起きている地域の言語を理解する必要がある。その上で、村に長期滞在して村人と一緒に暮らしなさい。第2に、先述したことを実践して砒素問題と取り組んできたグッド・プラクティスはバングラデシュのAANである。だから、砒素問題を知りたければAANの関係者を訪ねて2、3日集中的に話を聞かれるとよい―――こうしたメッセージを、自国政府、外国援助機関の双方がやっていることへの皮肉も込めて熱く語って下さった。僕が知りたいのは「砒素問題」というよりは「インドの砒素問題」だったのだが、そこはグッとこらえて教授の言葉を自分なりに斟酌してみると、「手っ取り早く楽をして情報を取ろうとするな、自分で時間と労力をかけて理解するよう心掛けろ」と言われているように思えた。

とは言っても、一度訪問して以降、教授が発表した論文を時々送って下さったりして、気にかけて下さっていたのがよくわかる。

もう1つ、初対面で印象に残ったことがある。教授が僕らに入れて下さったコーヒーである。このクラスの人なら、アシスタントに命令してお茶を入れさせたりコピーを取らせたりといったことを平気でする。実際うちの職場でも自分から足を運んで何かをするよりも席にふんぞり返って電話でオフィス・アシスタントを呼びつけて指示を出しているインド人スタッフは何人かいる。インドは命令する側と命令される側に明確に人が分れる国だと言われるが、チャクラボルティ教授はどちらにも属さず、自分のことは自分でするというのを徹底されている様子が窺えた。こういう行為をさりげなく行なえるインド人を初めて見かけた気がした。驚きとともに、とても新鮮だった。

さて、この日のセミナー。やるんじゃないかと予想はしていたけれど、案の定やって下さった。基調講演者であるにも関わらず壇上に着席せず、インドのイベントでは当たり前のようにやられている主賓への花束贈呈も固辞された。そんなところに金を使える金は砒素で苦しむ住民に少しでも還元すべきだというのが教授のお考えなのだ。自分は権力側ではなく弱者の側に立つ人間なのだということを非常に強く意識しておられる。ただ、花束の花を生産しているのも貧困層であることが多いのではないかと思いますけどね(苦笑)。

ただ、教授の講演については素晴らしかった。1976年にチャンディガルで地下水の砒素汚染が初めて発見されてから34年間、この問題が政府と市民の双方によっていかに無視されてきたか、その間にどれだけの住民が健康被害に苛まれてきたのか、各州での汚染はどのように拡がってきているのか、中毒患者にはどのような症状が見られるのか、すぐ近くに河川や湖沼があって地表水があるのに、何故住民は浅井戸から飲料水を確保せねばならないのか、そうした論点を、極めて包括的に、かつ熱のこもった口調で語って下さった。

その中から、僕なりに幾つか気付いた論点を纏めてみたい。

1.重要なのは「住民参加」、それに必要なのは「教育」。
教授は言った。ある西ベンガル州の村で掘り抜き井戸(ダグウェル)に浄化装置を付けた。最初の日には朝から3000人の住民がバケツを持って並んだ。装置は維持管理も必要なので利用者からバケツ1杯につき50パイサの料金徴収を行なうことにした。翌日になると行列に並ぶ人は300人になり、いつしか5、6人になった。このことから言えるのは、たった50パイサの料金でも水のために費用を住民が負担するには躊躇があり、住民は汚染された水を飲み続けることでどれだけ苦しい思いを強いられるのかを正しく理解していないということだ。

ダグウェルや浄化装置、砒素除去装置、地表水を用いた上水道整備等の構造物を作ることはいいが、先に作って住民に提供するのでは住民側にオーナーシップが生じない。計画段階から住民を巻き込むこと。そのためにも何が問題なのかを最初から住民に理解してもらう教育が重要。(教授は講演の中では明確に言わなかったけれど、事前に送っていただいた教授の最新の論文には、一度砒素中毒の苦しみを味わってそこから回復した若者をフィールドワーカーとして活用することが効果的だと述べられている。)

2.地下水は大地の「血液」、地表水は大地の「母乳」
教授は言った。そもそも大地から血を抜くような行為自体が間違いであり、母乳である地表水の有効活用を考えるべきであると。地表水には、河川や湖沼の水だけではなく、雨水の有効活用も含まれる。集中豪雨の度に大地は水浸しになるのに、なぜその雨水が活用されずに排水されてしまうのかと疑問を呈する。最近は河川や湖沼の水質も生活排水や産業排水の影響で高度に汚染されているケースが多いので、母乳が安全だとは必ずしも言い難い。そこの部分では今回のセミナーの他の発表者とチャクラボルティ教授の講演とはうまく相互補完関係ができていたように思う。

砒素に汚染された地下水を母体が摂取しても、母乳には砒素は出ないが母体から胎児には引き継がれるという。インドでは牛糞を燃料として使用するところが多いが、もし牛が砒素汚染された水や草を摂取して体内に砒素を蓄積しても、幾らかは糞として体外に押し出される。そしてそれを家屋内で燃やして料理を作れば、その煙で住民の砒素汚染が進むこともある。(川原一之著『口伝・亜砒焼谷』(岩波新書)で描かれていた土呂久・松尾等の日本の砒素災害も、こうした石焼きに起因するらしい。)

3.砒素汚染の水質基準の恣意性
砒素が健康に被害を及ぼすと見られる、WHOが定めている危険水準の目安は、先進国では1ℓ当たり10mg、途上国では50mgとなっている。インドも50mgを採用している。これは普通に考えれば納得がいかない指標である。先進国の場合は国民の栄養摂取状況が良いので、同じ濃度の砒素を摂取しても栄養状況の芳しくない途上国の住民に比べて健康リスクは低い筈だ。

こんな見方もできるのだ。途上国の基準を50mgと高めに設定しておけば、政府が対策を講じなければならない手間はかなり省け、栄養摂取状況の劣悪な貧困層は早く癌を発症して早く亡くなる。放っておけば貧困層は早く亡くなっていき、その国の貧困指標は改善されると…。教授はここまでは言っていない。ただ、地下水砒素汚染問題は貧困問題なのだとは指摘はされていた。健康を害するリスクの高い住民ほど健康を害し、しかもこうした住民ほど治療を受けるだけの生活の余裕がなく、家族全体が奈落の底に突き落とされる可能性が高い。

4.タタの低価格浄水器「スワチ」は、砒素も除去できる。
昨年12月、僕はタタが発表した低価格浄水器「スワチ」についてこのブログで紹介した(「タタを見直した」)この記事を紹介した際、僕はふと疑問に思った。この浄水器で砒素は除去できないのかと。そこでセミナーの後、チャクラボルティ教授に直接この質問をぶつけてみた。教授は仰っていた。砒素を吸着させた後のスラッジの問題は依然残るが、除去は確かにできるという。実際、教授のところにはセミナーの1週間ほど前にタタの社員が訪問しており、「スワチ」の説明を受けているのだそうだ。しかも、2月中に、教授はラタン・タタ会長と面会する予定まで既にあるという。僕の知らないところで、新しい動きが着々と進んでいるというのを実感した。

実は教授はもう1つ新たな情報を教えて下さったのだが、未だ論文発表もしていないらしいので、ちょっと控えておく。最新のレポートをセミナー前日にいただいていたので、その内容は別途ブログでも紹介させていただこうと思う。

熱い人だった。しかも、政府や企業の側に立たず、目線はいつも住民の目線で、砒素のリスクに晒されている弱者の側に立って熱弁をふるわれていた。「現場主義」というのを突き詰めていくと、こういう人のスタイルに行き着くのだろうと改めて感じた。時間がないのだろうというのもひしひしと感じた。砒素汚染を「静かな殺人(slow kill)」と例える人もいるが、今こうしている間にも住民は引き続き汚染地下水を飲み続け、健康を害する方向に向かっている。「言葉よりも行動を」――この言葉の重みも改めて感じさせられた。
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