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『十字架』 [重松清]

十字架

十字架

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2009/12/15
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
あいつの人生が終わり、僕たちの長い旅が始まった。中学2年でいじめを苦に自殺したあいつ。遺書には四人の同級生の名前が書かれていた―。背負った重荷をどう受け止めて生きればよいのだろう?悩み、迷い、傷つきながら手探りで進んだ二十年間の物語。
新年の初読書は重松清から――。

この年末年始、僕の職場は中1日の営業日を挟んで4連休と5連休という大型の休日が続いている。その間僕のようにデリーに居残った日本人の駐在員で大晦日は酒盛りをやり、カウントダウン@デリーで盛り上がったが、開けて元日は日本に残してきた家族や実家の両親に電話をする日であり、大人しく自宅で過ごした。二日酔いでちょっと頭が痛かったし、寒さが身にしみてまたちょっと風邪ひくかもという兆候もあったし…。

そこで、年末にアマゾンで入手してあった重松清最新刊を読むことにした。

かなり重い話だった。この連休に入った直後に東野圭吾著『手紙』をご紹介したのを覚えておられるだろうか。この作品では、兄が殺人を犯して刑務所に入った後残された弟が何年にもわたって背負わされる一種の「十字架」が描かれていたと思う。この中で、身内に殺人犯が出ることとか自殺(自分を殺すこと)とかが身内の築き上げてきた人間関係――「社会性」までもを全て断ち切る行為だと会社の社長が主人公・直貴に語っているシーンが登場する。この言葉を改めて思い起こされた。まだしっかり消化されているわけではないが、中学2年でフジシュンが自殺する途を選んでしまうことで、残された家族はそれまでに築かれた社会性を全て断ち切る別の生き方を強いられたばかりか、死を選んだ本人自身も、見殺しにして罪を背負った筈のクラスメートと学校からも時間とともに忘れられ、社会性の糸を断ち切られていってしまう。

記憶にも残らなくなる、思い出してもらえもしなくなるというのは本人には酷だし、我が子の成長がある一時点でストップし、時間の経過とともに忘却の彼方に置き去られるのはつらいことだろう。この点だけをとっても、自殺という行為は思い止まって欲しい。

年が明け、あと少しで我が長男は中学生になる。この小説の始まりと同じ世代に間もなく突入する。それだけに身にしみる。本書の中で、フリージャーナリストの田原がこんなことを言っている。親は、学校で起きたことをこの目で見るわけにはいかない。だから信じるしかない。ウチの子は元気でやっている、毎日を幸せに過ごしている…。だから親はみな子供にこう訊く。「学校どうだ?毎日楽しいか?」と。そう、その通りだ。僕らは子供達にこの質問を投げかけるしかないのだ。

特に、単身赴任で息子と離れて暮らしている今の僕の立場ではなおのことだ。最近、電話で話をしていて、長男から「あまり話すことないよ」と言われたことがある。話すことがないということは元気で心配事もなくちゃんとやっているんだと僕らは信じるしかない。我が子を信じるのが親の仕事なのだと思う。
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コメント 1

ノリ

こんにちは。
この作品はいろいろ考えさせられました。

自ら命を絶つことの重さ・・・・。遺書に書き記すことの残酷さ・・・・。

そして親としてのあり方など。

泣かせる本ではなかったですけど、重みがありました。


by ノリ (2010-06-22 13:37) 

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