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『医者の僕にハンセン病が教えてくれたこと』 [読書日記]

医者の僕にハンセン病が教えてくれたこと

医者の僕にハンセン病が教えてくれたこと

  • 作者: 和泉 眞藏
  • 出版社/メーカー: シービーアール
  • 発売日: 2005/11/25
  • メディア: 単行本
内容紹介
戦後幼少年期を中国で過ごした著者は、自らの将来を医療と国際協力に定め、臨床に研究に 研鑚を重ねる。そこで見つけたテーマがハンセン病であった。著者がハンセン病と関わった時代は偏見と差別に彩られ、医学もその呪縛から逃れていなかった。 著者は差別や偏見と戦うことは科学者としての良心の問題としてとらえ、治療と研究にまい進した。ハンセン病差別の構造はまさしく国際的差別と同質であり、きわめて当然に国際協力にも身を投ずることにことになった。結節点として現在もいまだハンセン病の多発地域であるインドネシアで疫学的研究を続けている。 国家賠償責任訴訟では重要な役割を担った。

奥田英朗の小説を読んでリフレッシュした後は、真剣な気持ちでこの1冊と向き合うことにした。著者の和泉氏は1970年代半ばにJICAの技術協力専門家としてインド・アグラにあるアジア救らい協会(JALMA)のハンセン病研究センターで活動された方である。その後の国際協力では主にインドネシアでの疫学研究に従事された。インドネシアで関わられた日本、インドネシア、オランダの共同研究では、らい菌の主要な感染源が生活環境中に存在する菌で、患者の隔離は感染予防にはほとんど役に立たないことを世界で初めて立証するといった実績も挙げられている。読み始めた僕の関心は主に和泉氏がおられた1970年代半ばのJALMAセンターの様子を少しでも知りたいと思ったからだが、読んでみたらものすごく奥が深い本だった。

ハンセン病に関する研究者としての知見が満載である。正直簡単に理解できなかった箇所も幾つかあったが、日本のハンセン病対策の問題が何か、論点の整理が非常に詳細にされている。有効な治療法が確立されたのにらい予防法に基づく絶対隔離政策が1996年まで継続されたという国の責任について、次のようにまとめられている。
 ハンセン病がダプソンの内服で治るようになった頃、その予防効果も明らかになった。こうしてハンセン病の施設入所は治療のためにも不必要になり1950年代には多くの国で療養所への新規入所を一切やめることになった。それに伴って、1969年までに多くの国でらい予防法が廃止されたのである。このような措置によって、療養所は障害などの理由や家庭の事情などで退所が困難な人だけが残留する施設となり、縮小の道を歩み始めた。一方、一般医療施設におけるハンセン病の治療やケアは充実し、患者は通常の社会生活を送りながら通院で治療されることになった。
 ところがほぼ同じ時代に日本は諸外国とは全く違う政策を進めた。らい予防法を制定した政府は、増床したベッドを埋めながら全患者の隔離を目指して収容を続けた。(pp.86-87)
つまり、1950年代から60年代にかけてのハンセン病治療における国際的潮流に背を向け、絶対隔離政策を推し進めたのが日本だったと指摘している。世界の流行地ではダプソンによる化学療法が既に始まっており、その成果で隔離を否定する潮流が強まっていたし、強制隔離政策はそれより20年も前の1930年代に国際的には否定されていた。日本型の絶対隔離政策が諸外国で採用される可能性は全くなかった。

これは単に政府だけの問題ではない。著者によれば、これはハンセン病専門家の問題でもあるという。
 第二世代の専門家の最大の罪は、化学療法によって治療中の患者は感染源にならないという重大な事実を理解せず、菌検査陽性の患者は全てらい菌の感染源となるという誤った情報を国民に流して隔離政策の基本理念の変更を妨げ、らい予防法の廃止を遅らせたことである。そして今でもその過ちに気づかず誤った情報を国民に流し続けている。(p.198)
理由は何だったのかはわからないが、国際的潮流から取り残されて時代に逆行する言説を流し続けたという点では政府も研究者も変わらないというのは、なんだか国際会議や専門家会議になかなか出てきて発言しない日本人という構図が昔からあったのではないかと思わないではない。

感銘を受けたのはこのハンセン病国家賠償請求訴訟に勝訴した原告側の関係者の間で、勝訴の暁には賠償金の一部を出し合って社会に貢献する事業を始めようとの呼びかけがあり、それがもとで国際協力が今に続いているとの記述である(p.225)。著者は、「世界のハンセン病がいま直面している問題を解決するために役立つ流行地での緊急度の高い研究を支援する事業」かつ「日本人として独自性のある継続的で波及効果の大きい貢献」を提案している。
日本人としての独自性を強調した理由は、世界保健機関などの大きな団体に寄付してしまうと、原告たちの貢献による成果が大きな資金に埋没して見えなくなってしまうからである。それよりも、この仕事は日本のハンセン病に苦しんできた人たちが闘って勝ち取った成果で世界に貢献したことがはっきり分かる独自の事業の方が望ましいと考えたからである。成果を見ることで、自分たちにもできるという自信と喜びを回復者の方がたに味わってほしかった。(p.226)
今、日本の国際協力は世界各国で様々な形で行なわれている。その中で僕達が忘れてはいけないことは、その問題への取組みに関して日本はどのような経験を有するのか、そしてそれがどのように国際協力の場で生かされることができるのかをしっかり考えておくことだろうと思う。同じ感染症でもエイズやインフルエンザ、マラリア、熱帯性熱病等に日本の経験がそれほど蓄積されているとは思えない。逆に、日本の経験が世界に誇れるものばかりではないということもハンセン病の問題は僕達に語っている。日本の苦い経験を繰り返させないためにこそ日本が国際協力で取り組めることがあるとも思える。

著者によれば、世界保健機関(WHO)が中心となって進めている世界のハンセン病対策は、未治療の多菌型患者が唯一の感染源であることを前提として進められており、患者以外の感染源については全く考慮されていないという。もし、患者が唯一の感染源であるならば、早期発見・早期治療で感染源を減少させればそれが感染予防対策にもなり、数年の時間的ずれがあったとしても、新患発生は減少に向かう筈であるが、実際は少なくともインドネシアに関する限りはそうなっていないという。ハンセン病のきっかけになるらい菌の感染源は、著者のインドネシアでの共同研究の成果からもわかる通り、恐らくは未治療の多菌型患者と生活環境中に存在する菌であり、それぞれの疫学的重要性は、地域ごとに異なる可能性が高い。

とすれば、今後の科学的予防対策のためには、それぞれの地域の疫学的状況を正しく評価して、それに見合った対策が取られなければならない。こうした研究はまだ端緒についたばかりであり、目に見える予防効果が現れるにはまだまだ長い年月が必要だという(pp.248-249)。多くの国で既に撲滅宣言も出ているハンセン病であるが、インドやインドネシアにはいまだに多くの患者がいる。根本的な解決を目指す息の長い研究は、実は国賠訴訟を闘った日本のハンセン病回復者の方々が支えているということを、僕らはもっと知るべきだ。著者もこの事実をハンセン病の専門医として非常に高く評価している。
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まりりん

和泉先生とはSV時代4年間ご一緒の幸運を得ました。先生の「ハンセン病の最大の原因は貧困です。」という言葉がとても印象的でした。そして「患者さんと話をするときはいつも腰をおとして、同じ目線で話をすることです。」とも。今もまだスラバヤの熱帯病センターで若き研究者の育成に携わってにおいでだと思います。連絡してみます。
by まりりん (2009-11-22 20:45) 

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