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『野生馬を追う』 [読書日記]

野生馬を追う―ウマのフィールド・サイエンス

野生馬を追う―ウマのフィールド・サイエンス

  • 作者: 木村 李花子
  • 出版社/メーカー: 東京大学出版会
  • 発売日: 2007/08
  • メディア: 単行本
出版社/著者からの内容紹介
野に伏して馬を待つ----北海道、カナダ、ケニヤ、そしてインドのフィールドへ......周縁に生きる馬たちに魅せられ世界を彷徨う女性研究者が描く馬と人間をめぐる動物記。野に放たれた再野生馬、サバンナに群れるシマウマ、幻のロバ「アドベスラ」など、魅力あふれる馬たちの息づかいとフィールドの情景を鮮やかに描写する。

デリーの日本人会室にあったのを借りてきて速攻で目を通した1冊。著者の木村さんは馬事文化研究所所長という肩書で、デリーに住んでおられる。実は、本書が発刊されて間もない頃、知人の紹介で木村さんに一度お会いしたことがある。その時にこの本のこともうかがっていたが、その知人から本が回って来ず、今に至るまで内容を細かく拝見することがなかった。

僕の関心はあくまでインド中心なので、北海道ユルリ島の放牧馬、カナダ・セーブル島の再野生馬、ケニア・サバンナのシマウマ等の章はかなり飛ばして読んだ。勿論、各章にもインド・グジャラート州にある小カッチ湿原のハイブリッド種「アドベスラ」を求めて行なわれたフィールドワークへの伏線が幾つかあり、その部分は読んだ上で、第4章「小カッチ湿原のハイブリッド-インドノロバ保護区と遊牧民」を重点的に読んだ。

小カッチ湿原(グジャラート州)


*マイナスボタンを何度かクリックして下さい。おおよその場所が地図で確認できます。

このインドでのフィールドワークのきっかけについて、木村さんは次のように述べている。
膨大な時間の中で営まれてきた知恵の系譜が現在も家畜生産に生かされている現場の1つが、インドのグジャラート州にある。私がそれを知ったのは、野生インドノロバの世界で唯一の生息地である保護区、グジャラート州小カッチ湿原へ初めて行った時のことであった。(中略)インドノロバの保護区に隣接する施設で、この時初めて会ったダンラージュと、野生ロバに端を発し、古代文明におけるウマ族の種間雑種生産の方法にまで話が及んだ時、「実は今でも作っているんですよ」と大変な秘密を打ち明けるかのように彼は声を潜めた。インドノロバと家畜ロバの第一代種間雑種、いわゆるハイブリッドが存在するというのだ。全くの初耳だった。(中略)野生種の遺伝子を家畜に取り込み、雑種強勢によって強く、足の速いロバを作る。それもインドノロバの縄張り型という特性を生かしてのことだという。いったいどんなロバなのだろうか。縄張り型の野生ロバとどうやって交配させるのか。インドノロバ観察の予備調査のつもりが、興味は一気にハイブリッドに傾いていった。これが私を現在に至るまでインドにとどめさせている業因、アドベスラと呼ばれる幻のロバとの出会いだった。(p.119)

そして木村さんのアドベスラを求めての調査が始まる。湿原周辺域の村々を訪ね歩き、アドベスラと思しきロバを外観から判断して購入を試みる。聴き取り調査で得たアドベスラの特徴をもとにロバを集め、運動能力を測定してアドベスラの能力が卓越していることを証明しようとする。さらには遺伝子レベルでアドベスラがハイブリッドであることを確認する。こうして、外貌、能力、遺伝子の3つのアプローチでアドベスラの同定を行ない、さらにはアドベスラの生産・流通・使用の実態を把握しようというものである。

wild-ass-sanctuary-kutch.jpgこうしたロバの種類のことは素人の僕にはよくわからないのだが、興味深かったのは、こうした調査から浮き上がってきた遊牧民や非定住者の生活実態であった。僕らはどうしてもある特定の対象人口がその土地に定住しているということを前提にして物事を考えがちであるが(だから「住民」という言葉をよく用いる)、遊牧民や非定住者がどのように移動しているのか、どのように野営しているのか、どのように生計を立てているのかは殆ど知らなかった。野生ロバ(右写真参照。インドノロバ)と家畜ロバがいつどこでどのような形で交配されるのかなんて、まさに彼らが置かれた社会経済条件の中での合理的選択に過ぎない、長年培ってきた彼らの知恵の賜物であるということがとてもよくわかった。

また、調査の過程でアドベスラと同定された子ロバを2頭従えて、グジャラート州ヴォーダのロバ市に乗り込むシーンがある。従来型の家畜ロバに対してハイブリッドがどの程度のプレミアムが付くのかを実際に筆者自身が博労との値段交渉に臨み、確認するというシーンである。ここでの緊迫感あるやり取りは、思わずその場に居合わせているかのような錯覚を覚えた。とても臨場感あふれる描写だった。一般のロバに対して2.5倍の高値で売れたらしいが、博労がアドベスラを乗用に調教するという意向であると聞き、労役でのアドベスラの有用性について、他州から来たバイヤーはあまり情報を持たなくなっているのではないかと筆者は指摘している。
 この遊牧民たちの育種者としての知恵と技術、そして(中略)地方在来種の系統を保持するという姿勢は、現在外来種雄の導入や冷凍生殖細胞を輸入して大型化をもくろむロバ生産や、泌乳量のみの増加を目指す牛の改良を疑問視する立場からは注目を浴び始めている。在来種、野生種が耐暑性、耐病性、食料の簡素性などにおいてより適応的であることは世界各地で認められるところで、遊牧民によって守り通された在来品種との雑種化を、政府の酪農政策に取り込もうとする方向も一部では提案されている。そうした流れの中で、近縁野生種との交雑により雑種強勢をもくろんだロバが作られ続けている事実は、僥倖ともいえるものではないだろうか。
 こうした地理的、社会的あるいは文化的にも周辺部とされる位置に残された伝統は、確かにそのままの形では現代の抱える問題に答えるものではないのかもしれない。しかし周辺に対して中央と称される場所で進められる一元化、画一化への動きに対して、周辺域が保有する特殊、あるいは固有にして多元的であるものを絶やすことは勿論、無視することもされてはならない。(pp.188-189)

馬や牛、ロバ等に限ったことではないが、強い地域特性を持った在地の知恵というものが、外からもたらされる大きな波――グローバル化とか市場経済化といった言葉でよく言われる大きな波の中で翻弄され、失われていくという現象はそこらじゅうで観測されている。本書は馬やロバのお話であるが、ここで筆者が指摘していることは、様々な在地の知恵についても共通することであると思う。それに対する対抗軸として地域の特徴を生かした産品を外に向かってアピールしていく取組みに「一村一品運動」があるが、アドベスラを一村一品に当てはめて考えてみると、妙に納得が行ってしまう。

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