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民間医療保険への反論 [インド]

以前、民間医療保険がインド農村部をカバーし始めているという現状について紹介した際、ある方からコメントをいただいた。日本の国民健康保険のように政府主導で全国民をカバーするような医療保険がインドにはないから、民間保険に頼らなければならないのだという趣旨のことを仰っていた。まったくその通りだと思う。そのコメントをいただいた時から、次にこの記事を書こうと考えていた。時間がかかってしまったが、本日はこれを紹介したいと思う。

Vinod Vyasulu
“The Case against Health Insurance”
Economic & Political Weekly, Sept. 27, 2008, pp.15-17
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インドのモデルは保険を通じたファイナンスが想定されている民間医療サービスに依存したものである。その際たる例は米国である。米国では、個人は自分の意思決定を自分自身で行なう権利があるとされるだけではなく、国家の介入がなくてもそれができなければならないと考えられている。結果として構築された制度は、民間セクターがヘルスケアをビジネスとして提供するというものである。医師は手数料ベースでその専門知識と技術を提供する専門家として診察・治療にあたる。病院は同じく手数料ベースで組織的なケアを提供する。そしてこれらのサービスには大きな費用がかかるかもしれないため、保険がここで登場する。手数料(保険料)を払ってスキームに参加すれば、被保険者は多くの加入者が参加することによって可能になるリスクプールを通じて、高い費用を被るリスクがカバーされるのである。一見完璧に見えるこのモデルであるが、米国では何百万人もの人々がこうした洗練された医療制度にアクセスできないでいるという問題もある。先の大統領選挙の際の争点の1つとなったのがこのヘルスケア制度のあり方である。

こうした米国の経験を鑑みると、インドで同様な制度を導入するには次のような問題点が考えられる。

(1)多くの人々が自分は健康であり、そういう状態で将来もいられると信じている場合、そうした人々は起こりそうもない事態に備えて保険料を払いたいとは考えない。こうした人々は自分の資金でより大きな収益を期待するため、保険ではない他の金融商品、例えば投資信託(Mutual Fund)のようなものに資金を投入したいと考えるだろう。そうすると、保険でカバーされる人口規模は小規模にとどまり、被保険者の費用は増大するだろう。

(2)包括的なカバレッジを持つ保険プランに対して保険料を支払う能力を持たない人は多い。これは単に貧困ライン以下の人々のことを言っているのではなく、社会人として職に就いたばかりの若者にとっても支払能力を超えた保険料である場合が多い。米国の経験からも、このようにして保険料を支払うことができない人口規模はたとえ裕福な国であってもかなり大きい。

(3)保険によるカバレッジの対象となりにくい人口も多い。保険でカバーする範囲をどこまでと定めるのかは保険会社の判断の問題であるが、企業行動としてリスクを最小化しようと試みるのは当然のことであろう。このため、本当に保険を必要とする人々は、たとえ保険料を支払う能力があったとしても保険対象から外れてしまうという事態に陥る。高齢者は特にこうした事態に陥りやすい。80歳以上の高齢者は保険でカバーされない。糖尿病のような特定の健康問題を抱える人も保険でカバーされないか或いは糖尿病のリスクを適用対象外とした保険でしかカバーされないという事態が生じる。こうなってくるとカバレッジの価値自体が疑われる。保険に加入しないという不本意な選択を強いられる人が多い。

(4)より多くの人々に保険加入を勧めるために、政府はしばしば企業に被雇用者を対象とした医療保険への加入を義務付けるような法整備を行なう場合がある。企業側はこうした措置が事業実施にかかる費用を引き上げるとして反対する。たとえ同意したとしても、企業側ではこうした措置の適用対象を正規被雇用者に限定し、非正規労働者には適用しないという対応を取るであろう。

(5)保険に加入した人でも、保険料は高いとわかり、かつ毎年保険料が値上がりしていくと、いずれ保険でカバーされないリスクがいろいろと出てくるということを経験するだろう。保険証券の説明書きは細かく、よく読まないとどこからどこまでがカバーされるのかすらしっかり理解できないことがよくある。歯科治療がカバーされないケースは多いし、眼鏡を必要とする人が眼鏡を作る費用がカバーされないというケースも多い。保険には加入したものの、結局保険適用対象外の項目が多いことが後からわかって追加的な出費を求められるという事態に陥りやすい。

こうして述べてきたことからわかるように、保険を購入する人々の行動選択に依存するような医療制度のカバレッジは完璧ではない。多くの人々は依然として保険適用対象外に置かれ、こうした人々こそが医療サービスを最も必要とする脆弱な社会グループに属するのである。こうした人々が深刻な病気に罹ったりすると、回復不能な悲劇的事態に陥りやすい。インドにおける研究結果からは、家族を貧困ライン以下の状況に陥れる要因として医療費用が最も致命的であることがわかっている。

民間保険会社の保険販売に依存した制度の場合、保険業界特有の以下のような問題にも考慮する必要がある。

(6)保険会社は加入者が本当の健康状況を隠して申告しないことを恐れている。また、保険とは治療費請求書を支払うためにあるのだということを過剰に捉えて健康維持に関して責任ある行動を取らないというモラル・ハザードの問題もある。こうした加入者の行動を抑制する措置として、しばしば取られるのが「co-payment(小額の自己負担を求める)」や「deductible(特定項目についての控除)」といった措置であるが、こうした措置は普通の加入者の保険適用範囲を狭める結果にもなる。自身の過失ではない理由により病気に罹った場合、加入者は健康な人に比べて高い保険料を支払わねばならないと感じるかもしれない。保険会社はビジネスとしてやっていくならこうした措置を取る以外に選択肢はないと主張する。確かにそれはその通りではある。

(7)医療費用の支払い請求について内容証明する手続が重要であると全ての保険会社が認めている。このことは往々にして患者は保険会社が認めた病院(approved hospital)に行かなければならないということを意味する。保険会社は、保険適用対象外の項目については医療費用支払い請求から除外されることを求めている。従って、支払い請求の内容を確認して承認行為を行なうための人の配置が必要となる。こうした監督官の配置は保険会社の留保利益の中から費用捻出されるが、そこで考えられるのはお役所仕事の増大―――即ち、支払い請求のあら捜しをして医療費用負担をなるべく抑制しようという行為である。そこでは適切な書類が揃っているかとか、ルールにちゃんと則って手続がなされているかとかが重要となる。民間セクターでのお役所主義は公的セクターのお役所主義と何ら変わらない。むしろたちが悪いとも言える。

(8)複数の保険会社との間で熾烈な競争にさらされている状況にあっては、保険に基づくシステムは病院に診察・治療代金を水増し請求させるインセンティブを与える可能性がある。患者が保険加入しているとわかると、病院は高額のレートを適用するか、実際には提供されなかったようなサービス項目まで請求書に含めてくるだろう。こうした行為はインドではよく指摘される。勿論これは病院の非倫理的行為を批判しているのではなく、医療費支払い請求を準備する会計担当にはこうした圧力や誘惑に常にさらされているということを指摘したいのである。こうした誘惑に負けることがあっても不思議ではない状況なのである。

こうした問題があるにもかかわらず、インドでは多くの人が医療保険に加入することを選択している。これは、リスク回避行動を取りたい人々にとって、予測不能な巨額の医療費負担から自分を守るには他に手がないからである。インドでは何十年にもわたって国が国民の健康に対する投資を行なってこなかった。たとえその制度が社会的に最善のものでなかったとしても、国民はこのようにして自分の身を自分で守るしか術がなかったのである。

最善のシステムとは国が市民に対する医療サービス提供に対して十分な責任を果たすことにある。医療費用は短期的な消費支出ではなく、市民が生産活動可能な状況でいられる能力に対する長期的視野にたった投資と考えられるからである。カナダや英国、スウェーデン等ではこうした制度を構築してきた。この制度は税収から資金調達され、市民はすべからくこの制度でカバーされる権利が保証されている。こうした制度に問題が全くないとは言わないが、こうした様々な国々の制度を参考にしつつ、インドは自国の状況に最も合致した制度を独自に構築していくべきなのである。

インドでは国家が然るべき責任を果たしてそれなりの成果を挙げてきた実績もある。我々は現実をしっかり見つめ、次善策を超えてより適切な制度の構築を目指すべきである。インドの医療制度はどうあるべきか、国は医療制度においてどのような役割を果たすべきか、先ずはそれが議論されなければならない。検討に当たっては、医療ニーズ、技術的な要件、費用、サービスポイントまでのアクセス距離、さらにはインド特有の様々な問題を考慮に入れなければならない。例えば、政府は砂糖生産に対する補助金を出す農業政策を維持しているが、砂糖消費は健康には良くない。或いはコメ生産に対する助成があってもjowarやbajraといった他の穀物には生産助成がない。こうした伝統的穀物はコメに比べて健康にはるかに良いと言われているにも関わらず。即ち、インドの農業政策は保健医療政策と整合性が取れない形で実施されているのである。これは病院での医療サービスを超えたもっと根本的な問題といえる。

国が全てをやるべきというのは言うのは簡単であるが、制度設計は大きな課題である。保険を通じた民間医療サービス提供というモデルは安易な次善策でしかない。税収に基づくユニバーサル・カバレッジの実現に向けて国が何をなすべきか、改めて問題提起をしたい。
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…とまあこんな趣旨の論文である。執筆者のヴィノッド・ビャスル教授(発音これで正しいのかどうか自信がありません)はバンガロールにある独立民間シンクタンクCentre for Budget and Policy Studiesの予算情報システム・プロジェクトリーダーである。少しだけ背景を調べてみようと思ってこのシンクタンクをのぞいてみたが、医療保険制度とどこで接点があるのか正直よくわからなかった。

但し、これは米国の援助機関USAIDの方から聞いたことであるが、USAIDはバンガロールがあるカルナタカ州の医療保険制度改革に対する技術支援を行なっているということである。従って、このUSAIDによる支援の方向性に関して同教授が疑問を持ち、その問題意識に基づいて本論説を書かれたのではないかという想像もできる。
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