SSブログ

「ボランティア」って何なのさ? [地域愛]

2008年も残すところあと1ヵ月となった。今年の年末年始はインドで過ごして少しぐらいは観光したいねと1ヵ月前には妻と話していたが、諸般の事情があって妻と子供達は一時帰国させることになった。

理由は幾つかある。第1に妻の祖母が28日に亡くなったこと。97歳の高齢には冬を越すのは難しい。僕の祖母も2002年に99歳で亡くなったが、やはりこの時期だったのを思い出す。 海外にいて祖父母を亡くすのはこれが4回目。すぐに駆け付けられない無念をまたもや痛感させられる。すぐに帰したいぐらいだが、子供の学校はどうするのか、僕の仕事はどうするのか、いろいろと支障があって結局すぐには難しいということになった。

第2にムンバイの同時テロ。旅行先として僕が推していたのがケララ州のコヴァラムビーチだったが、西沿岸部の観光地というのはなんとなく気が引ける。 ムンバイが危ないのならゴアやコーチンのような外国人観光客が年末年始を過ごしそうな観光地はどこも危ないような気がしてしまう。

第3に、実はこれが最も大きな理由であるが、あるボランティアの集まりで妻が代表者から「いじめ」まがいの目に遭っていることである。世話人は任期1年であるが、妻は11月いっぱいで世話人から身を引く決心をしている。妻の何が気に入らなかったのか、代表の妻に対する仕打ちは聞いていても腹立たしいもので、メールのやり取りも読んでいてなんでここまで執拗なのかと驚いてしまった。

夜の11時にメールを出しても午前1時に長い返事が来るような状態。お陰で妻はPCの前から離れられなくなった。朝メールを読んで落ち込んでいる姿を見かけたこともある。PCを使用する時間が僕と重なるので、妻がPCを空けてくれる早朝になって僕が初めてPCを使わせてもらうということもよくあった。たかがボランティア(一部の読者の方、くれぐれも誤解しないで)なのに、何でここまで仕切られるのか、メールを読まないとついていけない状況に陥るのか、僕には理解できない。これではまるで企業組織の仕事ぶりと変わらないではないか。まるで東京勤務時代の僕の上司にはこんなタイプの人もいたが、僕の場合は仕事、妻の場合はボランティアである。

なんで企業の管理職が指揮下の若手社員の企画書にダメだしするような感覚で仕切られるのか、ボツにするだけならともかく(ボランティアの発意でやってることに「ボツ」という概念が存在することも驚きだが)、対案までなぜリーダーが出す必要があるのか、それほど妻の仕事(?)は質が悪かったというのか。全く理解に苦しむ。皆がよかれと思ってやれる範囲でやっているのがボランティアではないのか。それに、ダメだしを喰らった企画は僕も妻の作業を手伝ったものだ。何だか僕自身の妻を思う気持ちまで否定されたようでとても気分が悪かった。

このところ、22時過ぎまで残業して疲れて帰宅する度に妻から相談を受けていた。自由な入退室がボランティアの定義だから、年度途中であっても続けられないと思ったら辞めてもいいのではと僕は勧めた。暫くは「それでも途中で投げ出すのは無責任だから」と逡巡していた妻だったが、最後は代表と電話で話し、「自分が代表を辞めるか、あなたが世話人を辞めるか」というようなおよそ組織のリーダーとは思えないような二択の議論を持ち出されたらしく、もうダメだということになったらしい。

精神的にはかなり追いつめられていたみたいなので、気分転換が必要だと思う。だから、12月半ばには早々に一時帰国をさせるつもり。 結果として、僕は今年は年末どころか年始もインドで1人で過ごすことになった。山ごもりでもして、滞りがちであった研究活動を少しでも進められればと思っている。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0