SSブログ

『フラット化する世界』からの引用2 [読書日記]

フラット化する世界(下)

フラット化する世界(下)

  • 作者: トーマス・フリードマン
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
  • 発売日: 2006/05/25
  • メディア: 単行本
前回のエントリーが長くなってしまったので、引き続き気になった引用の幾つかを紹介することにしたい。

ある国では地平線が一晩で変わるのに、別の国では半世紀ものあいだ変わらないのはなぜだろう。私にみつけることができた唯一の答は、明確な定義のないものだった。(中略)これには主に2つの特質がある。1つは、経済発展のために団結して犠牲を払う社会の意欲と能力である。もう1つは、発展に何が必要であるかを見抜く力のある指導者たちの存在である。
(下巻、p.199)

国が発展するのかしないのかの分かれ目には、清廉潔白かつカリスマ性の高いリーダーの存在が必要不可欠なのではないかという思いはずっとしていたのだが(ややもするとそれが東アジアでは「開発独裁」といった言葉で語られてしまうのが残念であるが)、本書の引用についてはうなずかされるところが多い。

 重い病にかかった人々、力を奪われた人々、やりどころのない不満を抱えた人々の問題は、いずれも世界を完全にフラット化することを妨げている。きちんとした対処がなされなかったら、将来的にもっと阻害することになるかもしれない。しかし、もう1つ、世界のフラット化へのすさまじく強力な脅威が、いま現れようとしている。国外への流出を阻止するという動きがそれだ。ただし、国内に封じ込めるのは、人的資源や病気ではなく、天然資源である。インド、中国、ラテンアメリカ諸国、旧ソ連などのフラットではない世界に長年住んでいた無数の人々が、それぞれ自家用車や住宅や冷蔵庫や電子レンジやトースターを持つ夢を持って、フラット化した新世界のプラットホームにこぞって入ってきたら、間違いなく深刻なエネルギー不足に見舞われるだろう。最悪の場合、天然資源をめぐるグローバルな戦いが開始され、人類史上類を見ないような速さで、この小さな惑星がぼろぼろになり、熱くなり、ごみためになり、くすぶり、焼き尽くされてしまう
(下巻、p.305)

昨年11月に英国が『スターン・レビュー』を発表して以来、気候変動について考える機会が増えた気がする。以前読んだジャレド・ダイヤモンドの『文明崩壊』でも、環境を破壊しない資源の利用の継続を考えるうえで重要なのは、地球に住んでいる人間の数ではなく、その生活様式が環境に与える影響であるとしている。

 一部の批判勢力の話を聞くと、無神経な資本主義、グローバルなブランド、ファーストフード、消費志向をひろめて、それまで栄えていた居心地のいい温かな地域のコミュニティや産業、文化を押しのけてしまうことのみが、グローバリゼーションであるかのような言い方をしている。グローバリゼーションの力が、あちこちで頻繁にそうしたことやっているのは確かだ。しかし、資本主義や至上主義、自由貿易を押しひろげることだけが、グローバリゼーションなのではない。グローバリゼーションは純然たる経済現象ではないし、経済のみに影響を与えるのではない。もっと幅広く、深く、複雑な現象であり、新しい形のコミュニケーションやイノベーションがそこに含まれている。仕事、知識、エンターテインメントを共有するさまざまな形のグローバルなプラットホームを生み出すことが、世界のフラット化なのである。
(下巻、p.325)


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0