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『団塊世代の戦後史』 [読書日記]

団塊世代の戦後史 (文春文庫 (み30-2))

団塊世代の戦後史 (文春文庫 (み30-2))

  • 作者: 三浦 展
  • 出版社/メーカー: 文芸春秋
  • 発売日: 2007/07
  • メディア: 文庫
内容(「BOOK」データベースより)
団塊世代を理解せずして、日本の戦後史も未来も語れない。既成の嘘臭い団塊世代論を打破すべく、圧倒的影響力をもった異民族を分析。数字のマジックを読み解き、保守性と革新性の二面性を浮き彫りに。下流社会もフリーターも友達夫婦も全てはここから始まった。誰が読んでも妙に懐かしい団塊世代本の決定版。

取り合えず読み終わってます。出勤前ですので詳述は後ほど。それにしても、著者の三浦展さん、『下流社会』のベストセラーで非常に有名になった方ですが、恐ろしく著作が多いので驚いてしまいました。(5月28日記)

5月28日に最初に記事を掲載してから随分と日が経ってしまった。読み終わってはいたのだが、このところ帰りが遅かったし、「成長と開発」委員会みたいなイベントもあったりしたのでついつい後回しにしてしまった。でも、「成長と開発」委員会の記事をご覧になればお気付きと思うが、三浦さんの本書を読んでいたことがセミナーでの論点を理解するのにも役立ったところがある。

この本は4月上旬のバンコク家族旅行の際に、ちょっと待てば6月に日本に帰ったときにもっと安く購入できると思って買うのを躊躇した経緯がある。それでも読みたかったから割高のバーツ建て代金を払って買ったわけで、一時帰国に出発する前に意地でも読み終えようと思っていた。

『下流社会』についても同じ感想をブログで書いたような気がするのだが、三浦さんの著書は図表がやたらと出てくる。それも著者が独自に調査した結果というならともかく(そういう図表も多いことは多いが)、他の機関が実施した調査研究のまた引きというのもかなり多い。その図表を見れば一目瞭然という話を、わざわざ文章にも入れて解説をしているものだから、くどいなと感じることが多い。図表か解説かどちらかを省略すればいいのにと思う。
だからといって本書の価値が低いというつもりはない。だいたい、たいていの本で書かれている内容は言われてみれば当然じゃないかと思えるものの、問題はそうした指摘を体系だててできる人がそれほど多くはない。読んで初めて気付かされるというものが結構ある。そういう意味で、「団塊世代」というのはこういう特徴があるのだと改めて考えてみるよいきっかけになった本である。

幾つか興味深かった記述を引用したい。
地方から来た若くて「貧しい」「独身」の労働者が、「豊かな」「家庭」を持つ「中流階級」に上昇していくことこそが、高度経済成長を推進する力となったのである。(p.28)
そうすると今のインドの課題もよくわかる。農村から出稼ぎに来た若年労働力が大都市で職を得て豊かになれるきっかけを掴むことが本当にできるのか、都市で結婚して家庭を持つことができるのかということである。日本の団塊世代に相当するインドのベビーブーマーが雇用機会を得られるかどうかは生産年齢に入る前のベビーブーマーに対して十分な教育機会が提供できたかどうか、そして雇用吸収力のある産業が育っているか、すぐに求人情報へのアクセスが容易かどうか等、多くの要素に依存する。

p.131にある「1975年の高島平2丁目の人口ピラミッド」というのも面白かった。
しかも一人暮らしの若者の部屋には、大したものは何もなかった。若者はコーヒーを飲みに、そして音楽を聴きに喫茶店へ行き、時間を潰した。もちろんビデオもない時代、映画を見るときは、3本立てで安く見られる名画座に行った。ファミリーレストランもコンビニもファストフードもなかったから、食事は大概が安い定食屋だった。(中略)30年前は、すべてが自分の部屋にある暮らしが豊かな暮らしに思えた。結婚して、子供ができても、まだ四畳半のアパートに住んでいた者も多かった。だからどうしても広い家が欲しかった。かくして団塊世代は、結婚、出産を機に、よりよい居住環境を求めて東京を出ていくことになる。(中略)(1975年の高島平地域は)人口の3分の2が、30歳前後の夫婦とその子供によって占められていたのである。まさに団塊世代とその子供のために高島平のような公団の団地が最初のマイホームを提供したのである。(pp.131-132)
実はこの高島平の人口ピラミッドと同じような形状の人口ピラミッドを以前見たことがある。中国・上海の少し前の人口ピラミッドである。そして、こういう人口ピラミッドが30年経つとどうなるだろうか。多分、団地で生まれた子供たちは成人したら家を出るだろうから団塊ジュニアのグループは小さくなる。でも、団塊世代はそのまま団地で年齢を重ねるだろう。そうすると今のニュータウンでよく問題となっている地域の高齢化の問題、インフラは老朽化するが自治体は税収不足でリハビリができずにまちとしての活力を失っていくのである。

また、著者も含めた僕達の世代、即ち1950年代半ばから1960年代の世代にとって、団塊世代は目の上のたんこぶでもあった。会社にいてもやたらと人数は多いし、結婚相手も同世代というお友達結婚が多く、夫婦仲がやたらといい。少し脱線し始めたので軌道修正。
自分自身が親に反抗した世代である団塊世代は、(中略)子供に厳しくなれず、子供を指導し、導くような親になれなかったし、自らそうなろうとはしなかった。(中略)団塊世代より10歳年上の世代は、子供にはいろいろなことを話し、子供にやさしく、あたたかい存在でありながら、子供に対して一定の厳しさを持っていたわけであり、その意味でも、父親としては良い地位を確保していたと言える。それに対して団塊世代の父親は、子供の自由を尊重し、言い分を聞いてやる甘い親である。だからといって子供とのコミュニケーションや、子供への理解が深まったわけでもない。話し合いの結果として、子供の自由や言い分を聞いてやっているのではなく、ただ子供のすることを黙認し、干渉しないでいるだけの父親像が浮かび上がる。(pp.179-182)
こうして甘やかされた団塊ジュニアはその後どうなったか。今起きているニートやフリーターの問題を見ればよくわかる。団塊世代の子供にはフリーターになった者が多い。人生最大の事業である子育てに、団塊世代がどう臨んだか、その結果、どういう若者が育ったか、著者は定年を迎えた団塊世代は、今こそ自分達が生み出したジュニアの世代に対して責任を果たすべきだと主張する。直接的に子供に働くという意味を教えなかったという責任だけではなく、フリーターや無業者の増加は、団塊世代の雇用を守るために若年雇用が抑制されたことにも原因があるのだから、団塊世代は引退して老後を楽しんでいるだけでは済まないと主張している。

部下への接し方がそんな感じの上司もいらっしゃいました。同世代同士なら話も弾むが、世代が異なるとからっきしコミュニケーションが取れない上司、現場を見ないで結果だけで判断する。だから現場で起きている本当のことが見えないから、僕達の世代が心の病気に陥る兆候があっても全く見えていない。
ニッセイ基礎研究所のレポート「東京オフィス市場の『2010年問題』」によると、2000~2010年の間に東京23区のオフィスワーカー数は3%、約10万人減少するという。その大きな理由は、団塊の世代の定年退職である。東京都の予測によれば、(昼間人口は)(中略)23区全体では95年の1110万1345人から2020年は1080万3590人に、約40万人、3.5%減少してしまう。これだけ都心で働く人口が減れば、様々な商売が打撃を受ける。サラリーマンのオアシスである居酒屋や喫茶店、オフィス街にある安売りスポーツ店やゴルフ洋品店は、かなり客数が減るであろう。新橋駅や神田駅周辺の焼鳥屋、一杯飲み屋が相当姿を消すかもしれない。他方、それまではただ寝るだけだった郊外は昼間人口がぐんと増えることになる。同じ東京都の予測によれば、三鷹市は95年の13万8934人から2020年は18万7741人に、約5万人も昼間人口が増加する。(中略)三多摩の市部全体では95年の329万1809人から2020年は368万8940人に、約40万人、12%増加する。(中略)重要なのは、これまで子育て期の核家族のためのベッドタウンであり、昼は母親と子供しかいなかった郊外に、昼間でも男たちが住むようになるという変化である。(pp.242-244)
インドに来る前に僕が住んでいた三鷹市は、面積16平方キロに対して人口が16万人台で数年前までずっと推移していて覚えやすかったのであるが、確か2006年に17万人を初めて突破して話題になった。感覚として農地がどんどん宅地化されていると感じてはいたが、この傾向はこれから10年ずっと続くのだろう。(僕が無理して買ったマイホームも高く売れないかな…とちょっと淡い期待)

説明がくどかったり、著者の論点に矛盾が感じられる箇所があったのは気になったけれど、非常に面白く読んだ。著者によると団塊世代論は彼のライフワークだということなので、本書に限らずその著作は読むと面白いかもしれない。最近、なぜか僕はMP3ウォークマンで「赤ちょうちん」や「神田川」を聴いてます。

タグ:三浦展
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