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『国益奪還』 [読書日記]

国益奪還

国益奪還

  • 作者: 前田 充浩
  • 出版社/メーカー: アスキー
  • 発売日: 2007/03/12
  • メディア: 文庫


出版社からのコメント
一国の経済政策を左右する国際会議で、日本は1970年以降6度の敗北を喫し、その都度、数兆円規模の国益を喪失した。この事実を国民は未だ知らされていない。 先進諸国が集う国際会議の場において30有余年にわたって執拗に繰り返されてきた「日本叩き」は何故に行われたのか。日本は何故にそれに対抗し得なかったのか。此処に詳らかにする敗北の過程と敗因を知り早急に対抗措置をとらねば、日本は永遠に世界の国々から搾取され続けていく事になる----。

本書における著者の肩書きは「多摩大学情報社会学研究所客員教授」となっている。「客員」だから他に常勤の別の肩書きがあるのではないかと思い、ちょっと調べてみたところ、経済産業省の幹部名簿に「貿易経済協力局・企画官」という肩書きを発見した。本書のプロフィールには経産省キャリア官僚としての記載は全くないが、ウェブ上で検索すればいくらでも出てくる。平成17年に経産省がまとめた「アジアPPP研究会」報告書にもその名は見られるし、そういう背景を踏まえて本書を読めば、著者がいう「あくまで「現時点において最も有効な」開発援助政策を考えるべきであり、その際にはODAに拘泥する必要はない」(p.209)という論点は理解がしやすいと思う。また、本書の後半でインフラ整備支援こそが「国益」にも沿う開発援助であると言わんばかりの主張を展開されているのも、経産省キャリアとしてのバックグランドから言ってさもありなんという気がする。

本書で著者が言いたい主張は大きくは2点ある。第一に、開発援助政策では国益追求を唯一とは言わないまでも主目的の1つとして正々堂々認めるべきであるということ(p.4)。第二に、そうである以上は国際レジームのあり方を決定する国際会議において、日本は勝利しなければならないということ(p.6)。第一の論点については反対はしないが、第二の論点については、勝てばいいのかという疑問や、何を以って勝利と見なすのかといった疑問がすぐに湧いてくる。特に、先にスティグリッツの近著を読んだばかりの僕としては、米国ブッシュ政権のような露骨な国益優先(しかも企業の利益優先)で地球益的視点からのグローバルガバナンス体制の構築を阻むような行動を日本も取るべきなのかという点については疑問を禁じ得ない。

もう1つの疑問は、著者が経産省キャリアだから自ずと国際レジーム形成の主戦場がOECDであることは理解もできるが、では気候変動枠組み条約や京都議定書でも日本は負け続けたと言えるのかという点である。当事者ではないので僕も確証を以って述べているわけではないが、京都議定書では日本はそれなりにイニシアチブを発揮して、その時点でできうるベストの枠組みを作ったのではないかと思う。抜け穴はあったかもしれないが、議定書を纏めたことを取れば成果だったと思うのである。その抜け穴を塞ぎ、地球温暖化へのより効果的な国際協調体制を作ろうとしているのが、現在の第二約束期間の枠組み作りの議論なのだろう。だから、著者が本書で展開している「敗北の連鎖」が、OECD以外の場でも一般化できるのかどうかについては、もう少し検討することが必要だろうと思う。

「「敗北」を避けるという観点からは、「グローバル・コモンズ」の議論で勝利することも「抜け穴」を確保することも等価である。違いは、「グローバル・コモンズ」の必要性については米国等イニシアティブ国が総力を挙げて論陣を張ってくるため、それに対抗して勝利するためには日本も膨大なコストを必要とすることである。この議論は抽象度の高いものとなり、経済学の理論が飛び交う。日本の場合は政府代表はもとより対処方針の調整に参加する関係者の中にも経済学の博士号保有者はほとんどいないことから、有効な反論の理論構築を量産できる体制にはなっていない。」(p.96)

――博士号保有の意義があまり日本の高級官僚に理解されていないのではないかという仮説は僕も持っていて、その点については著者に賛成である。ただ、このあたりの記述を読み直してみると、「グローバル・コモンズ」の形成を「国益」と見ることができない国とは本当に日本だけなのだろうかという疑問が湧く。日本が京都議定書で纏めようとしたものとは、まさに「グローバル・コモンズ」だったのではないかという気がするからだ。

「国際会議とはエレガントな論理の展開を各国政府代表が「愉しむ」場である。そこにこのように、理屈は何もなくとにかく国益だけを主張するというプレイヤーが参加すると「興ざめ」ということにもなり、嫌悪感を持たれるのである。この結果、他国の多くの政府代表は、日本政府代表を「エレガントな論理を構築する能力のない人」「一緒に愉しむことができない野蛮人」と評価することになり、一気にEC提案支持、日本提案反対へと向かうことなったという。」(p.168)

―――ここまで言うことはないのになと思う一節である。気候変動に関しては米国ブッシュ政権だって露骨な国益重視の姿勢を取って枠組みへの参加をしてこなかったではないかと言える。日本だけがいつも異質というステレオタイプ的イメージで捉えていいのか僕は疑問である。それに、そもそも序文で述べられている本書の基本姿勢で「国益重視」や「日本は勝たなければいけない」との主張を展開している著者が、ここでなぜ「グローバル・コモンズ」形成に加わらずに「国益だけを主張」する日本の姿勢を批判しているのかがよく理解できない。

日本政府代表団の国際会議に臨む姿勢や会議における交渉テクニックに問題があるというのであれば、経産省キャリアとしての著者は、その問題意識に基づき、従来からの交渉姿勢に対してどのような違い(make a difference)をもたらしてきたのか、具体的に述べてくれてもよかったのではないかと思う。経産省キャリア官僚としての肩書きを敢えて伏せて、客員教授の立場で評論家チックな記述をされているところに、本書の物足りなさを感じる。外野から批判するのは自由だが、問題はそういう貧弱な交渉姿勢やテクニックをどうやったら改善できるのかという点にあるうように思う。

最後に、国際レジーム或いは「グローバル・コモンズ」構築に正々堂々と参画し、かつ日本の国益を重視するという姿勢にも配慮した結果としての今後の方向性が、なぜアジアのインフラなのかという点にも疑問を感じた。アフリカの貧困問題に取り組むのは日本の国益にならないのか。或いは「地球益」を追求して気候変動や新興感染症対策でイニシアチブを取っていくのは日本の国益とは繋がらないのか。それらはアジアのインフラよりも重要ではないのか。いきなりインフラに入り込んで行ってしまったのは「アジアPPP研究会」への筆者の関わりからして仕方のないことなのかもしれないが、なんとなくインフラ関連での商社・ゼネコンの権益を以って「国益」と言っているような危うさも感じさせる。

但し、開発援助をODAの枠組みだけではなくPPPのような官民連携の可能性も含めて広く捉えるべきという主張には大いに賛同する。

著者の論理の危うさについては、次のブログでも指摘がされていて参考になる。                                                                                    http://diary.jp.aol.com/sz7uqrd/118.html


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コメント 1

外堀通信社(元・神楽坂通信社)

「sanchai」さん、コメントいただきまして誠にありがとうございます。
また、お気遣いいただき誠にありがとうございます。

「sanchai」さんのご意見とご感想を参考にさせていただき、読んでみようとおもいます。

ちょっと積んである本が結構あるので、ちょっと先にはなると思います。

本当にありがとうございます。
今後もよろしくお願いいたします。
by 外堀通信社(元・神楽坂通信社) (2007-03-28 16:21) 

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