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メール・コミュニケーションへの違和感 [仕事は嫌い]

今日、外勤を終えてオフィスに戻ってみると、某社からメールが届いていた。11月6日のシンポジウムでスピーカーを務めてほしいと書かれてあった。僕はその会社のことは知っているが、メールを送ってきた人のことは全然知らない。なんで僕のメルアドを知っているんだろうか。

テーマ的には対応可能なのだが、最近の僕は人事考課の対象にならない課外活動で社員研修の講師を頼まれることが多い。13日に講師を務めたばかりなのに、23日(月)にはもう1つ講師を務める。その週末には僕の町でも講演をする予定だ。そんな状況なのに、、先日は人事部から電話があり、24日に別の社員研修で講師をやって欲しいと頼まれた。さすがに断った。ここに挙げた講師の仕事は、いずれも僕の部署の本来の仕事ではない。さすがに週3回も講義をやっていたら、その準備にとられる時間も含めて大変な負担を強いられる。特に28日の講演は重い。今でも準備が大変なのだから、終わったら一息つきたい。だから、11月6日にもう1つ喋れ(しかも英語で)と頼まれても、はいそうですかと簡単には言えない。

だからお断りの返信メールを打った。「今後は企画書を見せていただきながら話を聞かせて下さい」と添え書きして…。見ず知らずの人にものを頼む時に、メールに頼るのはリスクを伴うと考えた方がいい。それをこの方には伝えたかった。(断りたかった理由は他にもあったのだが、その話は別の機会に。)

最近、人にものを頼む時に安易にメールを使われるケースがかなり多いように思う。また、メールでのコミュニケーションの過程でCCに上司のアドレスを入れておけば報告は事足りると思っている社員も多いような気がする。(そういえば至近距離に座っている中間管理職に対してお叱りのメールを送りつけてきた上司ってのも昔いたっけ。)CCに対して反応しなかったら承認されたと解釈してどんどん話を進められてしまったこともある。僕からすれば仕事の進め方の相談というのはface-to-faceでやるものだと思うのだが、今はそういうのもメールで済ませてしまう世の中なのだろうか。

僕の部署では管理職は週1回必ず集まる定例会議があるが、その会議で話し合われたことを各課のスタッフに伝達するのに課内会議を定期的にやりたいと提案したところ、「単なる情報伝達なら議事録を一斉配信してもらえば済む」と反対されてしらけてしまったこともあった。立場が違うからなかなかわかってもらえないと思うが、僕だったら議事録を配信されてもちゃんと読まない。1日に裁くメールの量が多すぎるからだ。

CCに加えておけば「報・連・相」をしたことになるというのは、それは上司のキャパシティを過大評価していると思う。管理職の経営上の判断に必要な情報というのは、末端レベルでやり取りされている生の情報とは性格が違う。生の情報を上司に全て提示したからといって、報告したことにはならない。読んでいる時間がないのだ。時間がなくて読んでいないものを、メールしたがノーコメントということは上司は承認したということなのだと勝手に解釈されても困る。

僕自身、よく上司から「役員に上げるメモは1枚紙で」と言われる。経営判断に必要な情報というのは、厳選して1枚に集約しないと読んでもらうことすらかなわないというのである。論点は何か、上司は何を期待されているのか、選択肢はどれだけあり、各々の長所・短所は何か――そういうのを提示されないと、意思決定は難しい。1枚紙はあくまでも「つかみ」の部分で、そこさえ上手く乗り切れば、後の補足は口頭でじっくり行なうことも可能であろう。

だらだらと際限もなく1時間も2時間も付き合わされる会議は僕にとっても苦痛である。だからといって議論のテーマがないただの情報伝達ならメールで十分というのも言い過ぎだろう。そうなるためにはメールに載せるメッセージをできる限りコンパクトにする必要があるが、現状そこまではやられていない。僕自身は短気だから、3段落を超えるメールは読む気を失くします。

そんなわけで、仕事を効率化するにはメールはとても便利な手段であることは認めるけれど、だからこそface-to-face、あるいは電話でのコミュニケーションというのも同様に大事になってきているのではないでしょうか。


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