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『卒業』 [重松清]

重松清著『卒業』                                                  新潮社、2004年2月


内容(「BOOK」データベースより)
親友の忘れ形見の少女が、ある日、僕を訪ねてきた。26歳で自ら命を絶った友と、40歳になった僕。「あのひとのこと、教えて」と訴える中学2年生の少女の手首には、リストカットの傷跡が…。表題作ほか、それぞれの「卒業」に臨む4組の家族の物語。

このところ、里帰りするたびに故郷の両親の衰えというものを感じることが多い。2年ほど前に母が交通事故を起こした時(状況を聞くと相手の方が悪そうだが)とか、母が足を痛めて暫くウォーキングもできなくなったとか、これまではどちらかというと母の衰えを感じたことが多かったのだが、半年くらい前に父が地区の区長を半ば不信任に近い形で辞めると言い出して実際に辞めて以降、父に対しても衰えを感じるようになった。

今年73歳になる父の場合、自ら辞任していなかったとしても再選よりも既に引退を考えるべき年齢であったと思う。公共心に厚く、地域全体の利益を考えて常に行動してきた父のこと、公のために働く名目を役職を外れることで失うことは内心忸怩たるものがあったであろう。母によると、その後の父は外出する機会が激減しているという。夜、テレビを見ながら寝てしまう。朝は田圃の水の管理があったりするから早く起きているそうだが、地域の集まりに出て行くことが非常に少なくなったらしい。それは、このお盆休みの里帰りでも感じたことであり、区長辞めたからといって盆踊りへの関わり方があれでよかったのかなというのは少々疑問にも思っていた。

こうした父の生活状態を聞くにつけ、「生きがい」を失った父は急に老けてしまうのではないかと心配になった。僕にしてみれば、地域の公共の利益に貢献する仕事は公の肩書きがなければできないものであるわけではなく、ボランティアとして働くことはいくらでもできると思う。

そう割り切れば、父がこれまで経験してきて父の頭の中にだけある暗黙知は極めて価値の高いものであるし、父には是非その暗黙知を形式知に変える作業、簡単に言ってしまえば父の地域活動での経験を文章化する作業を是非やってほしいと思う。そして文章化するだけではなく、その経験を地域の後継者達に伝える取組みとか、父や僕達の母校の小学校に通う地域の子供達に、「総合学習の時間」を利用して「地域の歴史」を教えて地元を愛する気持ちを子供達に植え付けていってほしいと思う。

これまでそういう肩書きを持って地域のために取り組んできた者の義務として考えてほしい。

最近読んでいる重松作品には、故郷に残してきた父や母の死を扱ったものが結構含まれているが、そうした作品を読む度に、自分の場合だどうだろうかと対比して考える癖がついてきた。今回読んだ短編集『卒業』には、「まゆみのマーチ」「あおげば尊し」「卒業」「追伸」という4作品が収録されているが、僕がとりわけ印象に残ったのは、前二者であった。


 母が死ぬ。                                       

 父はすでに4年前に亡くなった。

 大学進学でふるさとの家を出たのは、18歳のときだった。いまは40歳。上京後の日々のほうが故郷で暮らした日々よりも長くなったのを待っていたように、父は逝き、母ももうすぐ逝く。僕が「息子」として過ごすのは、もしかしたら、今夜が最後になるのかもしれない。

-「まゆみのマーチ」(p.9)


 親が死ぬ――ということを実感を持って考えはじめたのは、いつ頃からだっただろうか。

 子どもの頃は、もしもお父さんやお母さんが死んじゃったらどうしよう、と布団の中で想像するだけで、悲しくてしかたなかった。あんなクソ親父、早く死んじまえ、としょっちゅう毒づいていた時期もある。30代が終わりに近づくと、同年代の友人や知人から年賀状の喪中欠礼の葉書をぽつりぽつりと受け取るようになった。喪主をつとめる苦労話を聞かされることも増えたが、その頃はまだ僕の相槌は軽かった。親を看取る日がいずれ必ず訪れるのはわかっていたも、それは「心の準備」や「覚悟」の段階にとどまっていた。

 いまは違う。心の準備だの覚悟だのを云々する余裕などなく、ただ目の前の現実として、もうすぐ死んでしまう父がいる。やらなければならない仕事として、父を看取る、ということがある。

 悲しくはない。1日も早く死んでほしいとは思わないが、1日でも長く生きてほしい、と願っているわけでもない。ただ、このまま父のすべてが終わってしまうのは――嫌だ。

(中略)父の命が尽きようとする今になって、話しておきたいことが次々に浮かんでくる。僕の話も聞いてほしい。こんな時代に教育の現場に立つ苦労を、きっと父は「子どもに媚びるな」「親の顔色を窺うな」としか返さないだろうが、それでも相談に乗ってほしいことはいくつもあるのだ。

―「あおげば尊し」(pp.87-88)


死にゆくあなたの大切な人に、あなたが最後にしてあげたいことって何ですか?


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コメント 1

心配掛けています。 田圃の忙しいうちはいいのですが刈り取りすぎるとどうして過ごすのかと心配しています。来年町会議員の補欠選挙があるので出馬したら・・と言ったら「もう 年だから」という 長年水郷祭りに携わってきていたのに出ることが出来ない 私が出て行くのに鍵を隠す 大人気ないことをする
プライドが高いところがあり私は何時も馬鹿呼ばわりばかりされています。そのうち考えて行動されると思います。元気でどこかへ行こうと誘われるのですがちょっと無理
by (2006-08-30 21:36) 

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